- 2005-07-01 (金)
- column
金曜日更新が軽く定着しつつある本コラムですが…ご愛読、感謝です。
早いものでもう7月。相変わらず慌しい日々です。ここで今すべてをお話しすることはかなわないのですが、実にいろんな方がたとお会いしていますよ。アイボリーブラザーズと7ヶ月ぶりにスタジオ入りしたり、某人気グループのメンバーのソロ作のお手伝いをしたり。久しぶりの韓国にも行きました。
松尾潔としては久々となる、作詞のみのお仕事も進行中です。プロデュースワークの一貫としてノークレジットのまま作詞に関わることがほとんどの私にとって、作詞のみのご依頼というのは実は数えるほどしかありません。昨年の椿さんとTakeくん(Skoop On Somebody)のデュエット「ヒカリ」以来でしょうか。あの時はプロデューサーのFace 2 fAKEとTakeくんから受けたご指名でした。
作詞といえば、思い出ぶかいのは久保田利伸さんの2002年のアルバム『United Flow』に2曲(「DO ME BABY」「MOONSTRUCK」)提供したことでしょうか。プロデューサーは当然久保田さんご本人です。普段の自分に付いてまわるプロデュースの責任(呪縛?)から解放され、明確な理由と共にディレクションを受けるのは新鮮な気分で楽しいものです。作詞家としてアーティストに向かい合うことが楽しい、という面も当然あります。
私にとって作詞家への発注作業は作詞の実作業以上に神経を使うものです。また、そうでなければならないと考えています。
以前に某アーティストAをプロデュースした時のこと。まずは人気作曲家B氏に曲を書き下ろしてもらいました。これがもう素晴らしかった。その世界観に何のバイアスもかけずにただスケール感だけを増幅したいと考えた私は、B氏自身の推薦もあり、B氏と組むことの多い新進作詞家C氏に詞を発注することにしました。
私が面識のないC氏にまずはお会いしようとしたのですが、あいにく遠く離れた地方都市在住とのこと。ならばせめて電話で打ち合わせを、と思ってC氏のマネージャーにそう伝えたところ「Cはアーティストともプロデューサーとも会わずに電話も使わずにイメージを作り上げていく主義です」との返答が。不自然さは感じたものの、なるほどそういう考え方もあるかと自分に言い聞かせました。「B氏さえCに一度も会ったことがないのです」というマネージャー氏の言葉には妙な説得力がありました。結局私はC氏の意向に従い、メールのやりとりのみでディレクションを与えていくことになりました。
結果できあがったものはなかなか完成度の高い詞でした。スタッフの評判も上々です。ただAがどこか晴れない表情をしていたのが気にかかったのですが、とにかくデモを録ることに。いざ聴いてみると、メロディと詞、声と詞の双方のマッチングもよい。これは完璧だと確信を得た私はAにその旨を述べました。するとAはやや思いつめた表情でこう言うのです。「確かにこの詞は最高かもしれません。私も好きなタイプです。ただ、ある箇所が私が学生の頃から好きな人気グループDのある曲に酷似しているのがどうしても気にかかるのです。今まで言い出せずにいたのですが、いざマイクに向かってみるとこのソックリ具合にはやっぱり抵抗を感じるのです。気にしすぎかもしれませんが…」
寡聞にしてDの曲をよく知らなかった私は、その曲を用意して恐る恐るAの新曲と聴き比べてみました。「気にしすぎ」ではなく、明らかにこの2曲は酷似していました。口の悪いスタッフは半ばヤケ気味に「Cさんアッパレ!」とさえ言います。確かに、聴く人によっては単にストレートな「引用」と感じるかもしれません。それほどの高い酷似度でした。私とスタッフ、全員一致でその歌詞をNGにしたことは言うまでもありません。C氏に大きな信頼と期待を寄せていただけに、私たちの失望も大きかった。
その決断を例によってC氏にメールで伝えたところ、すぐに返事がメールで届きました。そこには、洋楽好きのC氏はDを聴いたことがなかったこと、私に指摘されて初めて買って聴いてみたが、なるほど似ているかもしれないと感じたこと、もちろん悪意はないのだが、今回はご迷惑をかけてすまなかった…こんな内容が綴られていました。追ってマネージャー氏からも丁重なお詫びの言葉をいただきました。
このことで得た教訓は2つあります。まず、「作詞家・作曲家とはまずは会うべし」ということ。それだけチェックの機会が増えますし、顔を見合わせてのコミュニケーションはある種の抑止力として機能します。もうひとつは「J-POPをたくさん聴いて損はなし」という教訓。盗用するためではなく、無意識の引用を避けるために。この場合はアーティスト本人の指摘によって難を逃れることができましたが、本来その指摘は私やスタッフから出て然るべきもの。「オレ、洋楽しか聴いてこなかったんで」と、どこか自慢ぶって話すスタッフに会うことがありますが、個人的な音楽生活という趣味の次元で語るならともかく、J-POPを制作することを生業にした以上、そんな発言は職業態度として褒められたものではないでしょう。イイ歳しての無知ほど罪なものはない。自戒の意を込めて。
で、結局その曲の行方はどうなったかって?
私の命を受けた小山内舞がまったく新たな歌詞を書いて何とか形になりました。
そしてC氏……今でもよくB氏とコンビで作品を世に送りだしています。
それでは、また来週。
久保田利伸『United Flow』(2002年)
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