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Vol.27「過去原稿再録:『ef』(2002年7月号)松尾潔的音楽旅日記より」

 『7月4日に生まれて』という映画がありました。さよう、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日です。その日に最も近い週末はジュライ・フォース・ウィークエンドと称され、全米各地ではいろんなイベントが催されます。ここ数年、南部のジャズの都ニューオリンズの風物詩として花火大会を上回る存在になったのが、アフリカ系アメリカ人女性に圧倒的な支持を得ている月刊誌『エッセンス』主催の音楽祭。総動員数30万人の宴が繰り広げられる数日間、街は褐色の肌一色に染まります。

 その第1回となる95年、僕はその会場にいました。熱狂のうちに迎えた楽日の7月3日。ルイジアナ・スーパードームのステージに立ったのは大統領候補でもあるジェシー・ジャクソン師。師は先週末の6月30日に自死を遂げた女性シンガー、フィリス・ハイマンを悼み、10万人の観客がそれに続き黙祷を送りました。

 アース・ウィンド&ファイアーのフィリップ・ベイリーが歌い上げる「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。このフィラデルフィア・ソウル古典曲は、同地出身のハイマンの名唱でもよく知られています。時にヒステリックに響くベイリーのファルセットにも、この時ばかりは言霊が宿っていました。もとよりこういう弔い方はハイマンのスマートな音楽的流儀に相応しかったので。

 翌日、ミシシッピーの堤防に腰を下ろして観た花火には、寒気を催すほどの美しさが満ちていました。無論、旅人の感傷によっていくぶん増幅されて目に映ったのかもしれません。が、豊かな彩りは長身で知られたハイマンのゴージャスな美貌を、激しい轟音は彼女のディープヴォイスを確かに思い出させました。

 夜が明けて僕はニューヨークに飛びました。フィラデルフィア生まれのハイマンは、ニューヨークでスターの座を射止めました。『ソフィスティケイティッド・レイディーズ』でブロードウェイに立っていたことも。そんなことを思い出しました。ホテルから同地在住の久保田利伸に電話を入れました。ふた月後に全米デビューを控えた彼の周辺には、奇しくも往時のハイマンのスタッフが何人もいて。デビューを祝福するための電話のはずが、気がつけばハイマンの話題になってしまったのは自然なことです。何より久保田さんは彼女の熱心なファンでしたし。

 「先週の金曜日だったよね、亡くなったの。あの日、アポロシアターに行ったんだ。フィリスのコンサートが開かれることになってたから。でもその日彼女が自殺したことは知ってたから、どうするんだろって。それを自分の目で確かめたくって」いつもは軽妙なジョークでならす彼も、この日ばかりは違いました。「彼女のバンドがフィリスのレパートリーを演奏して、コーラスの男があまり上手くはない歌を唄った。ヘンな気分だった。その後ウィスパーズが出てきて弔いの歌を演ったら、さすがにぼくもジーンと…」

 午後、服を買うために寄ったバーニーズ・ニューヨークの店員との立ち話で、僕はハイマンの告別式が今夜行われることを知りました。19時。レキシントン通り54丁目の聖ピーター教会。定刻を少し過ぎて到着したら、付近は黒人の人だかり。窓から見える壇には彼女のポスターが飾られているのが確認できます。「こんなに多すぎちゃ中に入れないわ」教会に入れないファンの口からはため息が漏れ聞こえてきます。が、その場を立ち去るものはひとりとしていません。見回せば、喪服に身をつつむ人も少なくありません。

 こうしてフィリス・ハイマンは天に召されていきました。7月6日は彼女の46回目の誕生日でした。旅先でPCを利用することが一般的でなかった頃の話です。インターネットを経ることなく、肉声の情報に導かれてたどり着いた夏の葬列はしかし、実に趣深いものでした。

*今週は松尾潔多忙につき、書き下ろしコラムはお休みし、過去の原稿を再録いたしました。
『ef 』2002年7月号。連載コラムの第3回でした。

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