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Vol.62「つながりたい」

 今年もどうかよろしくお付き合いください。

 ここ数年、年の初めは長いお休みをとって欧米で過ごすことが多かった私ですが、今年は三が日から鈴木雅之さんの新作レコーディングを始動させたので、正月気分は控えめでした。とはいえ、酒を酌み交わす機会は多かったですね。年末年始ですから、やはり。あと、4日に無事39歳の誕生日を迎えまして。憧れの40代まであと1年を切りました!

 年末はブルーノート東京に足繁く通いました。ジョニー・ギル公演には12月20日と25日の2回。20日は山下達郎さんと(この夜の話は吉岡正晴さんの日記で)、25日は久保田利伸さんと。そして26日と31日にはカウント・ベイシー・オーケストラ公演へ行きました。大晦日はベイシー好きの父親に付き合い家族全員で。行きつけの蕎麦屋で年越し蕎麦を食べて暮れの挨拶を済ませ、その1時間後にはビッグバンド・ジャズを聴きながらピノ・ノアールを楽しむ。東京の年末。ま、こんな生活を続けたせいで、その後体調を崩してしばらく風邪に苦しみましたけれど。それでもお釣りがくる音楽生活ではありました。

 暮れの1週間に酒量が増えたのは、年末という理由からだけではありません。既報の通り、12月25日にジェームズ・ブラウン(JB)が亡くなったのです。

 JBはクインシー・ジョーンズとならび私の音楽人生に最も大きな影響を与えた人です。24歳の時に初めて会ってお話しして以来、彼はずっと私の胸にいます。このことは、80年代から長年にわたって拙文をご愛読くださっている皆さん、もしくは1月8日の『The Universe』をお聴きになった方ならばご理解いただけることと信じています。

 JB急死。この悲しい報せを私はジムのテレビから流れる夕方のニュースで知りました。あやうくバーベルを落として大怪我するところでしたよ。その夜は久保田利伸さんと待ち合わせてジョニー・ギル公演に行く予定で。これは連絡しなきゃと思ってロッカールームに携帯電話を取りに行くと、すでに彼からの着信が。かけ直した電話のなかで私たちは思い出しました。1995年6月30日にフィリス・ハイマンがニューヨークで自死した時も、共にNYにいた二人は会う予定を控えていたということを。長話ならこの後会っていくらでもできるというのに、久保田さんと私は互いに饒舌になっていました。そして、しばしの沈黙。ようやく電話を切りました。

 もうひとりのJB愛好家、山下達郎さんともすぐに留守電とメールのやりとりを。おそらく日本中の、いや世界中のJBファンの間でこんなコミュニケーションが飛び交っていたのでしょう。喪失感を埋めたい時、人は「つながり」を確認したくなるものです。

 ジョニー・ギルはライブのMCではJBについて一切触れませんでした。終演後に久保田さんと私は楽屋を訪ねて旧交を温めました。久保田さんにとっても私にとっても久々の再会。思い出話に興じた後、久保田さんがさり気なくJBの話を切り出します。「JBのこと、知ってるよね?」「ああ、開演の少し前に聞いたよ…。」やはり理由あって黙していたのでした。私たちは頷き、この件に関してはそれ以上語りませんでした。

 ところで前回のコラムで予告した通り、12月25日の『The Universe』はその達郎さんをゲストにお迎えしての歳末放談でした。収録は数日前に済ませていたので、JBの訃報には対応できませんでした。よりによって「2006年に没したソウルの偉人たち」の話までしたというのに。何たる皮肉。達郎さんは日本屈指のJBのレコード・コレクターです。もし生放送だったら番組内容はJB一色(その色は黒!)になったことでしょう…果たしてそれがリスナーの皆さんにとって歓迎すべきものだったかどうかは判断つきかねますけど。後日、達郎さんとはJB死去と番組放送日との奇妙な巡り合わせについて語ったものです。

 運の悪いことには12月25日時点で次週1月1日分の番組も収録を終えていたのです。当然JBには言及できずじまい。流石にこれは当日までに録り直そうかと私も悩みました。しかし元日の放送でJB逝去の話に終始するのは相応しくないと判断し、川口大輔さんとの新春バージョンをそのままオンエアした次第です。何より、JBが消えたことに冷静に対応するには早すぎました。晩年の宇野千代さんの有名な言葉に倣って言えば「最近、JBは死なないような気がしていました」ので。

 偶然にも1933年生まれのJB(1928年説あり)と私の父親は同い年なんですよ。ちなみにクインシー・ジョーンズも。だからなのかどうか、年末年始に父親と何気ない話をしている最中にふとJBを思い出したりするのです。これには困りました。新年第1回目の収録となった『The Universe』1月8日分の放送でやっとJBについての想いを話すことができ、ようやく年が明けたような気がしたものです。

 JBについて語る時機が遅れたせいでしょうか、このところJ-WAVEや本ホームページへ届くメールの中に『The Universe』は生放送か収録なのかについてのお問い合わせの声がにわかに多くなっています。あのねえ…私は『The Universe』DJ陣の中でどうやら最年少のようですが、それでもこのトシで午前3時からの生放送は無理ですってば。本職は別にあるし。「ナマ」幻想抱かせていたならゴメンナサイ。ただ、この件については早々に昨年11月の本コラムで思うことを述べていますので、念のため。今回の件でよくわかりましたが、ほとんどの番組リスナーって本コラムまではお読みにならないんですねえ。ま、仕方ないか。ブログ全盛の時代に思うところあって敷居高くしてますので。

 閑話休題、一般論として、放送中に「生放送でお届けしています」コールが入らない深夜ラジオ番組は収録モノだと判断していただければよいのではないでしょうか。ま、私も20年近くラジオに関わっていますから、番組の中では直接言及するような野暮はしませんけど。これも一般論ですが、ラジオ局がDJに「収録でお届けしています」コールを奨励するわけがありませんよねえ。

 寄せられた多くのメールを読んで痛感するのは、深夜には誰かと「つながっている」体感が欲しい方が沢山いらっしゃるのだなあ、ということです。孤独というほど大袈裟ではないにしても、どこか人寂しさを紛らわせたくてラジオをお聴きになる方が多いんですね。考えてみれば私が深夜にラジオを聴くのもそういう気分の時が多いかも。確かに、そういう時に「生放送でお届けしています」コールを聞くと「ああ、いま起きてる…生きてるのは自分だけじゃないんだ!」と妙に安心しますし。ラジオは「人の気配」を伝えるメディアとして有効だとも言えるでしょう。

 ラジオとの付き合い方は人それぞれです。私の場合、「ナマ感」を楽しみたいものはまず放送時に聴きますね。聴き逃したら潔く諦める。必ずしもリアルタイムで聴かなくてよいと自分が判断した収録モノは、こちらも録音で対応したりするし。テレビでもお目当てのスポーツ中継とドラマが同じ時間帯に重なると、生ではスポーツ中継の緊張感を優先してドラマは録画後にじっくり観ることが多いですが、ま、それと同じ理屈ですね。とはいっても、『The Universe』はあくまで27時~29時にひとりで起きているリスナーを想定してマイクに向かってますよ!と一応強調しておきます。発信者としてね。

 それでは、また次回。ここでつながりましょう。

(ジェームズ・ブラウンについては、今春ミュージック・マガジン社より刊行予定の追悼本にエッセイを寄稿する予定です)

 


James Brown『Universal James』(1992)
この頃に初めて拝顔の栄に浴しました。
USからC+C ミュージック・ファクトリー、
UKからソウルIIソウルがプロデュース参加したことが話題に。

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