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Vol.10 「春なのに」

 春なのにお別れですか。と柏原芳恵さんが歌ったのが1983年。
 なんでよく覚えているかというと、その曲がヒットしている頃に私は中学を卒業したのであります。中島みゆきさんの歌詞のよさがわかったのはそれからずいぶん後のこと。正直、ヒット当時はあまり共感できなかったなあ。何しろこっちは男子校。卒業式当日でさえ泣いている友だちはいなかったような気がします。

 bayfm『松尾潔的音楽夜話』が、昨日(3月29日)の放送をもって終了いたしました。ご愛聴ありがとうございました。考えてみればbayfmで初めておしゃべりしてからもう15年が経つわけですが、とりわけこの『松尾潔的音楽夜話』には愛着がありました。放送枠を移動しながらもリスナーとbayfm編成部員の方がたの熱意で続いてきた「首都圏FM業界の奇跡」たるプログラムでした。
 何しろ2年半前のスタート当初から、スポンサーなし、台本なし、リクエスト受付もなし。松尾潔がR&B音源をスタジオに持ち込み、曲をかけて思うままお喋りするだけ。番組をお聴きの方ならご存じでしょうが、私の10数年来にわたるお付き合いの中野ディレクターの脱力的センスと神業的スキルで何とか番組の体裁を保っていたのです。ちなみに彼もその昔はエモーションズ等のCDライナーノーツで健筆を振るっていた御仁。この番組の前身ともいえる『SOUL SYSTEM』(FM横浜。1998 ̄2001)の能勢ディレクターといい、その番組プロデューサーだったDJ OSSHYといい、ソウルマニアって人たちは確実にいるんですよ、ラジオ業界にも。

 「ソウルバーで隣に座ったおしゃべりな男」というのが番組コンセプトでしたから、そこでかかっているレコードのクレジットを読みあげて薀蓄を披露することはあっても、事前に原稿をつくることはありませんでした。それゆえ失言も多かったし、失念による言い忘れも多かったなあ。今だから言いますが、CDさえ持ち込まず、まったくの手ぶらでスタジオに入って、ただ中野ディレクターの顔をみながらダラダラ喋り通した放送回もありました。マニア同士ってのはそれでも頭の中で同じ曲が鳴っているわけです。まあ映画でもサッカーでも、マニア同士の会話ってそんなものかと思いますが。番組スタートからしばらくの間は、こんな与太話を聴いてくれる人なんているのかと半信半疑でしたが、マニアっていらっしゃるもんですね、全国に。

 今でも語り草になっているエピソードがあります。番組に多数のメール・ファクス・お手紙が寄せられるようになった頃、調子に乗った私と中野ディレクターで「お便り特番」を企画。あらためて特番用のお便りを番組内で募集すると、急に風が凪いだようにメールもファクスもゼロになってしまった…それまでの投稿者の誰もが番組で紹介されることを望んでいなかったという。

 もうひとつお別れの話を。1957年の開業以来、良質の商業演劇を上演し続けてきた日比谷の芸術座が3月27日をもって48年の歴史に幕を下ろしました。
  最後の演目はもちろん森光子さん主演の『放浪記』。菊田一夫の作・演出、三木のり平の潤色によるこの作品、以前から観たいと思いながらずっと観そびれていた私ですが、幸いにも今回のチケットを入手することができ、初めて鑑賞することができました。
 ディープでした。森さんがたどりついた境地に手が届く女優は今後おそらく出てこないのでは。それは能力や資質の問題に加えて、スターシステムの変遷、商業演劇を取りまく状況の変化にも理由を見出せる事柄なのでしょうが。カーテンコールでは実にいろんなことを考えさせられました。
 芸術座48年の歴史の最後にすべり込めた僥倖を身に沁みて感じています。劇場で購入したパンフレットも読み応えのあるもので、就寝前の喜びがまたひとつ増えました。
 なお今回の閉館はビルの建て替えに伴うもので、2007年11月には新劇場がオープンする予定です。東宝は2008年1月からその新劇場で「放浪記」を上演することを発表しています。その時、森光子さんは87歳になっているということです。

 最後に、弊社秘書もふれていた映画『サイドウェイ』について。私は映画館に2回足を運び、2回ともその足でワインバーへ直行しました。アレクサンダー・ペイン監督はキャメロン・クロウと並んでいま最も私ごのみの脚本を書く映画人です。

 それでは、また来週。

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