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Vol.11「小倉日記」

 先週末、所用で実家のある福岡に帰りました。滞在中にも余震を体験したり、それにさほど驚かない地元の人々がたくましく見えたり。
 今回はちょっと足を伸ばして小倉へ行ってきました。JR博多駅から小倉駅までは新幹線でひと駅、時間にしてわずか20分ほど。最近では西鉄の高速バスでも90分で行けちゃうそうで、これは往復1800円という料金設定ゆえに人気だそう。

 実は小倉には小学生の頃に1年半くらい住んだことがあります。住んでいたのは転勤族が多いエリアで、当然通っていた小学校にもその子弟が多く、身の回りでは転入と転出が日常的でした。そういえば古内東子さんも一時期同じ小学校に通っていたと本人から聞いたことがあります。彼女のお姉さんは私と同学年だそうですが、在学時期が重なっていなかったようですな。ま、余談でした。

 さて小倉といえばわれわれ音楽業界人にとってはラジオ局CROSS FMの本拠地としてなじみ深い場所でもあります。今回は同局の位置する北口ではなく南口へ。スケジュールの都合上、小倉に滞在できるのははじめから3時間と限られていたので目的地は2つに絞ったのですが、その2つとも南口方面なのでした。まあ時間が許せばCROSS FMにも遊びに行きたかったんですけれど。

 まずは小倉城を擁する勝山公園へ。その敷地内にある松本清張記念館こそが今回の目的地その1であります。よく知られているように清張は小倉に生まれ育ち、40歳を過ぎるまでそこで過ごしています(そのあたりの事情は自伝的な著書『半生の記』に詳しいです)。加えて小倉は『或る「小倉日記」伝』をはじめとした小説の舞台になることもまた多かったので、清張ファンにとってはまあ聖地みたいなものですね。

 記念館の最大の見ものは何といっても「思索と創作の城」と題された2フロアぶち抜きの展示。清張が1961(昭和36)年(ときに52歳)から1992(平成4)年に没するまでを過ごした東京都杉並区高井戸の家を忠実に再現したものです。これは圧巻。1階には応接間、書庫、2階にはまた書庫、資料室、そして書斎。いまにも家の主が現れてきそうなほどの再現度の高さには驚きますし、ご家族でさえ入るのを躊躇っていたといわれる文豪の書斎や書庫を目の当たりにするのは、何かイケナイモノを覗き見しているような背徳の悦びがありました。

 自分の好きな作家、とりわけ故人が過ごした家や土地を訪ねる。この行為には独特の興奮があるものです。そのことをはっきりと自覚したのは、昨年正月の旅で、壇一雄が暮らしたポルトガルのサンタクルスを訪れた時。ここであの人が思索に耽り創作の時を過ごしたかと思えば、自分の身体が熱くなってくるのがはっきりとわかります。今年の正月に福岡・能古島にやはり壇一雄の旧居を訪ねた時もそうでした。パワー、でしょうか。都心だと南青山6丁目の岡本太郎記念館もパワーにあふれた場所ですよね。

 小倉で文豪の旧居を訪ねるなら森鴎外のそれのほうがポピュラーでしょう。清張の「思索と創作の城」は、厳密にいえば旧居とは呼べない。移築というか再現ですから。でも小倉が清張にとって「愛憎の地」であることを知る読者からすれば、これが単なる再現ではなくもっと重層的なプレゼンテーションであることがわかる。そこにこの記念館の真骨頂があります。書斎の前で膝がガクガク震えましたよ私は。

 目的地その2は、魚町の鮨屋「もり田」。私は考えるところあって本コラムで「食」については具体的に店名をあげて語ることは避けてきましたが、今回は例外ということで。
 小倉に「もり田」あり、と以前からその名を聞き知っていたのですが、念願かなって今回初めてお店を訪ねることができました。ネタの中心は近海の幸であり、東京の名店とはやや趣が違う酢飯も私の口には合いました。また訪ねたいお店です。

 ところで「もり田」は文藝春秋の雑誌や書籍に掲載されることが多いのですが、店のご主人の奥様にお聞きしたところ、この店を贔屓にされているお客のひとりに文藝春秋の元社員がいらっしゃるそうで。よくよく聞けばその女性こそは松本清張記念館館長・藤井康栄女史でありました。まさに清張づくしの旅。小旅行の終章に相応しいオチがついたところで、私は小倉駅に向かい、再び車上の人となりました。以上、3時間。

 それでは、また来週。

 

 新潮文庫版『或る「小倉日記」伝』

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