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2005-02

Vol.5 「グラミー・ゴウズ・トゥ…」

 先週は執筆をサボってしまいました。スマンです。グラミー賞授賞式のためにLAに出張してまして、どうにもまとまった時間が作れなかったんですよ。休載にするのもどうかと思い、過去にあちこちへ寄稿したものの中からひとつピックアップして再録した次第。

 ではグラミー賞のお話。2月13日の日曜日、LAはステープルズ・センターでの授賞式に出席してきました。私にとっては初グラミー体験、しかもWOWOWの中継番組のゲスト解説者という慣れないお仕事でしたが、いざ始まってみれば楽しいばかりで。スーパースターの金粉を体中に浴びてきた感じです。この場を借りて共演者の松任谷正隆さん、山田優ちゃん、今村知子さん、ピーター・バラカンさん、小牧ユカさん、そしてWOWOWスタッフの皆さんに感謝いたします。

 既報の通り、今年(第47回)のグラミー賞はレイ・チャールズの弔いショウの様相を呈していました。カニエ(10部門ノミネート)やアッシャー(8部門ノミネート)はタイミング悪かったねえ。彼らには肌の色を越える大きな賞は回ってきませんでした。カニエ、不服でしょうなあ。昨年11月のアメリカン・ミュージック・アウォーズにも振られましたからね。でも昨年のグラミーにおける50セントの不遇ぶりに比べればまだましかと。

 本国アメリカでは授賞式は13日の20~23時半にかけてCBSで生中継されたのですが、過去2番目に低い視聴率だったとか。とはいえ20時台と22時台の番組視聴占拠率自体は同時間帯でトップ。9時台だけが首位陥落。その最たる理由はABCの人気ドラマ『Desperate Housewives』だそう。意訳すれば、キレる主婦たち、ですか。私の周りの敏感な人たちはもう気にしてます、このドラマ。主演のテリー・ハッチャーは先日のゴールデン・グローブ賞でコメディドラマ部門主演女優賞を受賞…まあ聞き流してしまいそうな情報ですが、これが、『Sex and the City』のサラ・ジェシカ・パーカー女史をおさえての受賞、となれば。ほら、気になってきたでしょう?

 もとい、グラミー賞ぐらいの大物老舗番組ともなれば他局の番組と戦うというよりも自らの歴史と戦うのが宿命なんですね。NHKの紅白歌合戦や大河ドラマのごとし。現状維持さえ後退と呼ばれるキビシイ世界。まあ今年の主役レイ・チャールズ自身が不在のグラミー賞には、昨年の「ビヨンセ+プリンス共演!」に相当する華はなかったかもね。それでも「アッシャー+ジェイムズ・ブラウン」「アリシア・キーズ+ジェイミー・フォックス」「カニエ・ウェスト+ジョン・レジェンド+メイビス・ステイプルズ」といったグラミーならではの共演は、私のようなソウル聴き者にはたまりませんでしたが。司会がクイーン・ラティファというのも気分だし。

 ステープルズ・センターといえばNBAのレイカーズ、クリッパーズ、そしてNHLのキングズの本拠地。そりゃデカイです。入場するまでのセキュリティ・チェックがひと苦労で、ここじゃいつもこんな感じかと思いきや、警察官いわく「今日は上院議員が来てるんで」と。会場の屋上を見ればスナイパーがライフル銃を持って屹立しており。もう『ジャッカルの日』をライブで観てるような感じ。で、その下では絢爛豪華なショウが展開している。ショウビズが社会の縮図とはよく言ったものです。

 以下、当日気づいたこと、感じたことをいくつか。端的に。

 ・プレゼンターは「グラミー・ゴウズ・トゥ…」の間のとり方に命をかける。
 ・夫婦共演したJ-Loの佇まいは下り坂走者独特のもの。
 ・クイーン・ラティファの歌はあくまで声質勝負。
 ・プリンスの最前線完全復帰。
 ・主要部門の一定数はクライブ・デイビスの利権。
 ・アニタ・ベイカー「出せばグラミー」神話の終焉。
 ・受賞せずともパフォーマンスで強い印象を与えたジョス・ストーン。
 ・イブの登場に騒ぐ客なし。
 ・マリオはポスト・アッシャーというよりテビン・キャンベル的。
 ・ジョン・メイヤーは21世紀版ジェイムズ・テイラー。
 ・豪人カントリー歌手キース・アーバンは男前。
 ・ジャネットは昨年の胸ポロリを今でも後悔している。
 ・アリシアとブリトニーは同い年。
 ・日本のメディアはアッシャーにこのまま無関心を貫くのか。

 授賞式の2日後、ロバートソンBlvdのレストランThe Ivyでジャーメイン・デュプリとばったり。グラミー会場では連れ添っていたジャネットはいませんでしたが。思えば彼と初めて会ったのはクリス・クロス「ジャンプ」旋風の最中の92年、アトランタ。フォックス・シアターの楽屋でした。時にデュプリ19歳!まあ私も24歳でしたが。その後は彼のSo So Def オフィスを何度か訪ねたものです。自宅訪問してゴルフ場みたいな庭に驚いたこともありました。ダ・ブラットやエクスケイプといった新人が出るたびにオフィスに取材に行っていたような記憶があります。最後に会ったのはいつだろう…そんなことを話し、照れくさかったけれど一緒に写真に納まって別れました。

 それでは、また来週。

*松尾潔出演 WOWOW『グラミー賞2005』 4月1日(金)深1:30~ 再放送オンエア

 

毎年出てます『Grammy Nominiees』。
今年は初めてマジメに聴いてみました。

Vol.4 「過去原稿再録:『SWITCH』2004年1月号より」

 2002年春の某夜、私はソウルのグランドハイアットのバンケットホールで円卓に向かっていた。私がキム・ヒョンソクと共同プロデュースを務めた日韓共催W杯サッカー・テーマソングのお披露目なのである。小泉純一郎や森喜朗が出席するとあってホテルには厳重な警備体制が敷かれていた。実際にホール内は日韓紳士淑女録といった趣だったが、私の視線は専ら壇上のひとりの女性に注がれていた。親善大使として藤原紀香と共に司会進行を務めた女優キム・ユンジンその人である。当夜の華だった。

 彼女がヒロインを演じたカン・ジェギュ監督作品『シュリ』が日本における韓国映画ブームの先鞭をつけた、というのはもはや定説である。私はその前史として「日本側からの韓国映画」としての『月はどっちに出ている』のヒットなどを加えたいが、一般的には『月に…』は「在日文学」にならって「在日映画」という別軸で語られるようである。確かに、在日コリアンというテーマを撮った作品としては、今村昌平や大島渚の諸作をはじめとして井筒和幸の『ガキ帝国』や小栗康平の『伽耶子のために』から行定勲の『GO』に至る傑作群の系譜があるわけで、これはこれでひとつの歴史とみなされるのだろう。

 『シュリ』の新しさは、「米ソ」の代替構図としての朝鮮半島の「南北」対立を娯楽映画の題材に昇華させた点だ。ソビエト連邦の崩壊によって東西問題が急速に終焉に向かったという時代背景を得てこの映画は日本でヒットした。実際、日本でのロードショー公開時の若い観客の中に、このドラマの大前提である南北対立と日本の関係についてどれくらいの予備知識があったかは疑問である。映画を観終えても最後まで自国・日本のことは思い出さなかったかもしれない。それはつまり007シリーズを観るがごとく罪悪感を伴わずに映画を楽しめるということであり、「韓国映画おもしれえっ!」という屈託のない感想を生み出すということでもある。その意味で『シュリ』の図抜けた娯楽性はハワイやグアムといった「かつては戦地、今は観光地」における海の青さと同義である。

 私が韓国の音楽や映画に興味を抱くようになってからもう10数年が過ぎた。これには二人からのはっきりとした影響がある。ひとりは作家の関川夏央氏、そしてもうひとりは中学時代からの友人だ。私とは違いきわめて出来のよかった彼は京大に進学してアジア政治史、とりわけ韓国の議会政治に興味を持ち専攻の対象とした。1991年だったか、彼が大学院に進み渡韓歴をふた桁に増やした頃、私を旅に誘ってくれた。いわく「アメリカばっかり行ってもしょうがないでしょ」と。88年頃から米国の黒人音楽についての雑文書きをはじめた私は、当時1年の3分の1をNYやLAでの取材に費やしていたのだが、この時期に仕事抜きで韓国の地を踏んだことが、かの地の音楽や映画について深入りするきっかけとなった。確か最初の渡韓でLPを50枚ほど購入してきたのではなかったか。当時親しくしていたライターの石丸元章の誘いもあり、それから歌舞伎町の韓国ディスコに顔を出すようになって、ついには大久保に引っ越すに至った。

 友人はほどなくして学究の徒としての生活を休止し、国際交流基金に職を得た。そんな彼が「ウチと関係あるんで」と誘ってくれたのが94年4月から5月にかけて千石の三百人劇場で催された上映イベント『韓国映画の全貌』である。忙しい彼とは初日の『キルソドム』(イム・グォンテク監督)を一緒に観ただけだが、私が韓国映画熱にうなされるにはこの1本で十分だった。今思えばイム・グォンテクの手腕よりもむしろソン・ギルハンの脚本に強く惹かれていたのかもしれないが。

 実はそれまでにも『鯨とり』『ディープ・ブルー・ナイト』といった監督ペ・チャンホ・脚本チェ・イノのコンビ作品をビデオで観てそのスタイリッシュな映像とストーリーテリングの妙にシビれまくっていたのだが、『キルソドム』の重心の低い感じはまた異体験であった。それからの私はレギュラーを除きすべての仕事をキャンセルして千石に通いつめる毎日。ついには上映作品全50本のうち47本を観た。劇場前の売店で五目にぎりと干瓢巻きを買い込むのが常だった。あの暗がりが今でも懐かしい。

 アジア映画社渾身のセレクション50本のうち、私の心を最も強く揺さぶったシーンは故ハ・キルジョンの79年作品『ピョンテとヨンジャ』(これも脚本はチェ・イノ)で主人公ピョンテが最愛の恋人ヨンジャの結婚式場までソウルの街を駆け抜ける場面である。『卒業』の花嫁略奪シーンをなぞっていることは言うまでもないが、建設ラッシュに沸く70年代末のソウルの街が何より雄弁だった。

 がしかし、この1本となるとイ・チャンホの80年作品『風吹く良き日』に尽きる。これは私にとってはもうR&B史におけるサム・クックの聖歌『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』みたいなものだ。アン・ソンギという不世出のスターの地位を決定づけた作品、ということを後になって知ったが、西城秀樹似の容貌のせいもあって強いパッションを感じさせるアンの演技と存在感はもうたまらなかった。この作品と、同じイ・チャンホの『馬鹿宣言』にはもう完全にひれ伏しました。

 2001年、そのアン・ソンギが主演陣に加わったキム・ソンス監督の時代劇大作『武士(MUSA)』が韓国で公開された。その音楽監督の鷺巣詩郎氏と親しい縁で、その夏ソウルで開かれた試写に私は招かれた。鷺巣氏に紹介されてキム監督と交流を深めた私は、その数ヵ月後冒頭に記したW杯テーマソングの総合プロデュースを委ねられるにあたり、公式フィルムの監督をキム氏にお願いすることにした。これはW杯の各試合会場でも流されたのでご記憶の方もいらっしゃるだろう。ちょっとサム・ペキンパー風味もある、キム監督ならではの味付けが施された佳品であった。だが、残念なことにこのフィルムは曲中に日本語が含まれているという事情があり、韓国国内ではテレビ放映も試合会場での上映も目処が立たなかった。キム・ソンスがフィルム制作中に最も気にしていたのはそのことだった。完成後、結局自国では放映も上映もなしと決まって、彼は大きく嘆いた。音楽は国境を越えても言葉には壁があった。

 ソウルでシャンペンを呑みながらキム・ユンジンの美貌を眺める私は確かに幸せだった。が、その胸には無念が幾度も去来していた。現在の日本における韓国映画ブームに複雑な思いを抱いてしまうのは、以上のような個人的な事情にも拠る。

*今週は松尾潔多忙につき、書き下ろしコラムはお休みし、過去の原稿を再録いたしました。

Vol.3 「ママ・ユースト・トゥ・セイ」

 読者諸兄諸嬢は風邪などお召しになってはいませんか。流行ってるんですよねインフルエンザ。そちらも是非お気をつけになってくださいな。ま、風邪とインフルエンザは別物だといいますが。

 私はこの数年というもの殆ど風邪をひいたことがありません。予防法は外出後のうがいと手洗い。5年くらい前に確か近田春夫さんか鷺巣詩郎さんからお聞きしたんですよ。この予防法を習慣づけてからは、シリアスな風邪とは無縁になりました。ひきかけても大事には至らず。結局これが一番効くみたいです。海外出張の時なんてちょっと面倒くさいけど、それでも治療より予防のほうが簡単ですから。
 ここで一首。「路駐して高い罰金払うより 先に入れちゃえパーキング」 

 では先週のお話の続きを。
 ブラックプールでノーザン・ソウルの洪水にまみれた私と川口大輔さんは、その後マンチェスター経由でロンドンに立ち寄りました。

 ロンドンにはかれこれ30回ほど行ってる私ですが、川口さんとのロンドンはこれで3、4回目でしょうか。彼とはこの2年ほど仕事で何度か一緒に洋行してます。ロンドン、ホノルル、NY、シドニー…と書いてその多さにちょっと驚きましたが。

 若き作曲王・川口大輔の旅先での洋服の買いっぷりには凄いモノがあって、その様子を隣で見るのを毎回ひそかな愉しみにしています。ここだけの話、高いものほど値札見てないような気がしますよ作曲王。服が好きなことにかけては人後に落ちない私も、川口さんの暴れ買いを間近で見てるともう買わなくていいかって気になっちゃいます。

 思えば幼い頃、夕餉の準備を終えた母親の口癖は「母さんは料理作りながら見よったら(=見てただけで)お腹いっぱいよ」でした。そんな母のいにしえの口癖をずっと「そんなこと言っちゃって実はつまみ食いしてるだけじゃないの?」と曲解してきたわけですが、なるほど、視覚が満腹感を生み出すこともあるんですな。母よあなたは正しかった。なんて独りごちるコベントガーデン。
 以上、UKソウルにちなんで言えば、極私的ママ・ユースト・トゥ・セイ、の記。

 ま、川口さんの名誉のために言っておくと、無闇に買いまくるだけじゃなくて彼は実際イイもの買ってますね。はっきりとした顔立ちにジャマイカ帰りの焼けた肌、スリムなボディ。今回ご購入のオズワルド・ボーディングのシャイニーなドレスシャツ、あんなに似合う日本人はそうそういません。一重瞼のうっす~い顔した私は実に羨ましい。

 「そんなにロンドン行ってると、もう住んでるみたいなもんでしょう。いつもどこで遊んでるんですか?」 なんてよく訊かれます。が、私のマインドはいつもツーリスト。いつも滞在日数が短いですもん。1週間以上ステイした経験なんて数えるほど。ホテル事情には精通しても、住んでる感覚なんて、とても。

 とはいえ確かに、ツーリストの真実、はあります。それをすべて開陳するのが本コラムの主旨ではないけれど、ショート・トリップを重ねてきた立場から忌憚なく言うと、定点観測的な場所がいくつかあればその都市を身近に感じやすいとは思いますね。

 ロンドンにおけるMy定点観測スポットのひとつが、昨年(2004年)に開店45周年を迎えたソーホーの老舗ジャズ・クラブ『ロニー・スコッツ(Ronnie Scott’s)』
 マイルスやディジーやエラといったジャズ・ジャイアンツにかぎらず、ここのステージを踏んだR&Bアーティストも少なくないです。カーティス・メイフィールドをはじめとして、ここでのライブをアルバム化した御仁も実に数多い。

 私はここの赤い薄明かりの中で見るショウが大好き。大学の小さめの階段教室を思わせる構造。5人編成バンドでも窮屈な狭いステージ。ぬるめのベックス・ビール。イギリス的諧謔に満ちた野次。そのすべてがツーリストにはいとおしい。隣接するインド料理店か、向かいのカプチーノの名店『カフェ・イタリア』で腹ごしらえして行けばなお良し。

 今回ロニー・スコッツではビブラフォン奏者にしてシンガーのロイ・エアーズを観てまいりました。実は東京出発前からお店に予約を2名分入れておいたのでした。ここでロイさんはもう10年以上にわたって出演しています。ライブ・アルバムも何枚か。ロイ・エアーズ@ロニー・スコッツ体験はこれで2度目ですが、この地での彼の愛され具合は凄いなあと痛感しました。地元出身でもないのに熱烈に愛されている。その意味で、ニューオーリンズのフランキー・ビバリー人気を思い出さずにはいられません。

 ここ数年のロイ・エアーズ@ロニー・スコッツは、ロイさんとレイ・ガスキンスの双頭バンドと言ったほうが正確で、実際今回のライブでもレイさんのMCや歌を大きくフィーチャーしていました。レイさんは米国ボルティモア出身で、NYを経てロンドンに流れてきた鍵盤奏者にしてサックス奏者そしてシンガー。リーダー・アルバムはそんなに面白いものではないけれど、ライブ番長ではあります。まあ旅先だから採点は常に甘いよ。

 余談ながら80~90年代のロイ・エアーズ・グループの看板ギタリスト、ザッカリー・ブルーは97年2月27日にマイアミで亡くなりました。もうすぐ命日ですね。確か、溺れている女性を助けようとして死んだのではなかったかな。36歳でした。

 日本のオッシャレーな音楽ファンのみなさまにおかれましては、おそらくはロンドンのジャズ・クラブといえばまず真っ先にカムデンタウンの『ジャズ・カフェ(The Jazz Cafe)』なのでありましょう。店名が店名ですしね。まあ確かにあそこもいい雰囲気です。

 ここで録音され、なぜか日本だけでリリースされたディアンジェロのライブ・アルバムは世界中のR&Bファン垂涎の1枚とされています。個人的な思い出としては、アメール・ラリューが2000年にソロ・デビューした際のアルバム発売記念ライブを、鷺巣詩郎さんご夫妻、みとともみ嬢と一緒に観に行ったのが懐かしいなあ。呼び込みのMCはシャーデー/スウィートバックのスチュワート・マシューマンで。ブライス・ウィルソンと訣別してのソロ・デビューなのに、アンコールで1曲だけやったグルーブ・セオリー時代の”Tell Me”に客が異様に盛り上がる。それに困惑していたラリューさんが何ともお気の毒でした。

 ロイ・エアーズ@ロニー・スコッツに話を戻せば。終演後、酔い覚ましに周辺をふらふらと歩いていたら、アーカイブものに強い酒屋が目に入りまして。閉店間際のところにすべり込み、モルトスコッチ『ザ・グレンリヴェット』の1968年モノ(私と同い年ってことです)を購入いたしました。次の帰省時あたりには父親と一献かたむけようかしらん。

  ソーホーといえば、今回はミュージカル『メリー・ポピンズ』観てきましたよ。ロンドン最終日の朝、早めの便で帰る川口さんをホテルで見送った後、マチネーを。運良く当日のキャンセル券を定価の半額ほどで買えたので、浮いたお金でムール貝つまみにベルギービール呑んで。ひとり酩酊状態での観劇でした。

 メリー・ポピンズ。昨年はジュリー・アンドリュース主演の映画が公開40周年だったそうで、ロンドンではそれを記念した舞台が年末から始まりました。私がもともとミュージカル好きというのもあるけれど、今をときめくマシュー・ボーンがコリオグラフィーを担当しているというので気になっていたのですよ。これを観ることができたのはラッキー。主演のローラ・ミシェル・ケリーに未来を見ました。  

 それでは、また来週。
 14日のグラミー賞@WOWOWでお会いしましょう。
 

 

Vol.2 「華麗なるソウルの週末」

 いささか旧聞に属しますが、年頭のお話を。
 ここ数年、年末年始はヨーロッパで過ごすことが続きましたが(またいつかこのコーナーでお話ししましょう)、今年は数年ぶりに故郷の博多で正月を迎えました。高校の先輩たちと中洲の街で痛飲したりして。大学まで同じだったのに15年ぶりくらいに会う方もいたりして。楽しかったなあ。

 いったん東京に戻り、スタジオにこもって今春デビュー予定の新人女性シンガーのレコーディング。その後すぐに川口大輔さんと連れ立ってイギリスはブラックプールなんて辺鄙な場所に飛び、1月7,8,9日の3日間にわたってヒルトンホテルのボールルームで行われたJazz FM/Smooth FM主催のイベント『Luxury Soul Weekend』に参加してきました。余談ですがブラックプールはボールルーム・ダンス、日本で言うところの社交ダンスの聖地として知る人ぞ知る街。映画『Shall We ダンス?』でもロケ地になってましたね。

 さて、このイベントの2000人程度の参加者のほとんどはロンドンやマンチェスター周辺のR&B/ソウル・マニアたち。白人7:黒人3って感じでしょうか。唯一ならぬ唯ニのアジア人である私と川口さんはたいへんな厚遇を受けました。みんな物珍しかったんでしょうね。私が半ば無理矢理誘った川口さんもこの厚遇には上機嫌。スコットランド訛りの強い白人中年女性にお色気攻撃受けてましたよ彼。

 イベントの基本フォーマットはノーザン・ソウル。この言葉についてはやや説明が必要でしょう。早い話がイギリス独特の「聴き方」です。詳しく話を始めると長くなるので強引にまとめると「日本におけるフリー・ソウルのイギリス中年版みたいなもの」。ま、それじゃフリー・ソウルと全く別物じゃないかとご指摘を受けそうですが。ええ、別物ですとも。

 テリー・ジョーンズをはじめとする著名なノーザン・ソウルDJたちのパーティーが主なメニューです。会場ではロンドンやマンチェスター周辺のR&B/ソウル・ファン相手のレコード/CD即売会も開かれ、ちょっとした「レコード祭り」(このフレーズにはいつでも胸ときめく!)の様相を呈していました。私はギネスビールの海に溺れ、押し寄せるローストビーフの波で2キロばかり太って帰ってきましたよ。旅先じゃ私の胃袋はいつも楽観的。合衆国の石油をガブ呑みするがごとし。それじゃ嫌われるって。

 で、私が楽しみにしていたこのイベントのメイン・メニューが「グレン・ジョーンズ/ハワード・ヒューイット/フィル・ペリー」という3人の偉丈夫による一夜限りのスペシャルライブ。80~90年代のR&B/ソウル・ファンには説明不要でしょう。3人が3人とも実力派ソロとして一時代を作ったシンガーたちです。マニア向けに言うとそれぞれモジュレーションズ、シャラマー、モントクレアーズというボーカル・グループの看板だった人たちね。私は彼らのライナーノーツを書いたりインタビューをしたりしているので、この3人が一堂に会するのは感慨深かったです。いちばん凄みがあったのは実績では他の2人に劣るフィル・ペリー。あんた、最高だよ。なんて言いつつ、終演後ただひとりお話しできたハワード・ヒューイットには「You’re the best!!」と言っておきましたが。調子いいわねえ、この坊やは。と言われ続けて37年。 

 思い起こせば私がはじめてアルバムのコンピレーション作業を手がけたのは、90年にP-Vineからリリースした『スロー・モーション』なんですが、ここでハイライトの一つになっていたのがモントクレアーズの”Dreamin’ out of Season”でありました。選曲・解説・アルバムタイトルつけてギャラ総額5万円ナリ。それでも当時学生だった私には嬉しかったなあ。モジュレーションズのCD復刻でもお仕事させてもらいましたP-Vine。懐かし。

 話戻ってノーザン・ソウルDJたち。ある意味ハワード・ヒューイットより嬉しかったテリー・ジョーンズ先生との対面でしたが、彼にかぎらずノーザン・ソウルDJたちはもう頑なにドーナツ盤しかプレイしないんですね。噂には聞いていましたが。あの根性は見上げたものです。まぎれもなく英国オリジナルの文化であります。ローカライゼーション魂ここにあり。本国アメリカの「ソウル聴き者(ききしゃ、と発音してください。いま作ったけど)」たちにはこの視点はあらかじめ失われている。ああシンパシー覚えますイギリスのソウル聴き者たちよ! 

 会場では、そんな英国の豊穣なソウル文化が生み出した専門レーベルExpansionそしてDomeのA&Rマンたちと社交してきました。さすがに英日の好事家同士、初対面の感じはしませんでしたなあ。昨年Expansionから出たエムトゥーメイ&ルーカスのベスト盤の選曲にケチつけようかと思っていたけど、コンパイラーのラルフ・ティー氏に会ったら一発で許しちゃったです!お土産CDまでくれちゃうんだもの、毒舌出る間なし!
 というわけで、マニアたちの宴はギネスビール色した良き想い出になりました。 

 帰りにはロンドンに立ち寄って、老舗ジャズ・クラブ『ロニー・スコッツ』へ行ったり。かの地2度目となるロイ・エアーズのライブを観たりして日本との「温度調整」に努めました。まあロンドンでの出来事は次回以降にお話ししますか。スペースも時間もたっぷりあるもんね。と、ホームページ開設のヨロコビを噛みしめる私。

 それでは、また来週。

 

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