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2005-07

Vol.26 「過去原稿再録:『ef』(2002年5月号)松尾潔的音楽旅日記より」

 パリのことを花の都と最初に呼んだのは誰でしょう。実際に足を運んでみれば、犬の糞も朽ちかけた建物も多い。いったん気にすれば、そんな「花ならぬ」細部ばかり目につきます。

 とはいえ、セーヌ川の遠景や日暮れ時のシャンゼリゼ通りのように、美しいとしか表現できないような場所、瞬間もあります。住民はシャンゼリゼなんて行かないよ、と訳知り顔で言われようが構いません。だって、美しいんだから。

 通俗的だとお叱りを受けることを承知で告白しますが、僕が旅先で楽しみにしていることのひとつに、感銘を受けた音楽や小説、映画の舞台となった場所で、作者や登場人物の追体験をするという行為があります。旅行者にとっては、そんなちっぽけな物真似もまた楽しいもの。

 ときに、フランスにエルヴェ・ギベールという作家がいました。彼の作品『赤い帽子の男』で、喉の手術を終えたばかりの主人公=著者は医師に向かって「今すぐ牡蠣を食べに連れて行ってください」と懇願します。それほどまでにフランスの牡蠣は美味だということでしょう。

 著者は文中で牡蠣を食べる店を限定しています。それは、古くから芸術家が集う場所として知られるモンパルナス通りの老舗レストラン「ラ・クーポール」。ギベールが著作の中でディナーに行く時は、まあ大概この店なのですが。

 この正月にパリを訪れた際、パリ歴の長い知人夫妻に連れられてクーポールに行きました。これまでパリには何度か行ったことのある僕も、この店に行くのは初めてです。1927年につくられ、ピカソもフジタもヘミングウェイも通ったという聖地。当然、お目当ては生牡蠣!

 店に着いたのは夜の10時近く。千人は収容できる店内は満員で、客の話し声で騒がしいほど。客層は社会人が中心です。さらに、深夜2時までオーダーができるためか、店のバーカウンターには自分の順番が回ってくるのを待つ客がいっぱい。カップルから職場仲間とおぼしきご一行まで、みんなよくしゃべること。

 ギャルソンに聞かれるまま、まず人数を告げます。次に名前を、と思いきや、そのかわりにギャルソンは何の説明もなしに私に名札を手渡します。はて、名札?そこには小さく書き添えられた店名とともに「Igor Stravinski」の大きな文字が。

 ストラヴィンスキーといえば、ドイツ生まれにしてパリで才能を開花させた作曲家。ということは・・・・・・鈍感な僕もさすがに名札の意味が理解できました。店内でパリ文化人の名前が連呼されていたのは、そういうことだったのですね。今夜この店で自分はストラヴィンスキーなのだ、と。

 音楽業界の端くれにいる自分としては、この名前は身に余るほど。ただ、旅人の勢いで調子よく言わせてもらえば、パリがらみの音楽家ならいっそのことクインシー・ジョーンズがよかったなあ、なんて。

 名前が呼ばれるまでの間にしばし連想に浸りました。クーポールといえば、ベルナルド・ルビッチ監督の名画「ラストタンゴ・イン・パリ」にも出てきたっけ。シャンペーングラスでスコッチを飲むマーロン・ブランド。気だるいなかにもダンディズムがありました。あの映像も、エコール・ド・パリの面影を強く残すこの店だからこそ・・・・・・と、妄想、もとい、連想を打ち破るギャルソンの雄叫びが。
「ストラヴィンスキー!」

 どうやらテーブルの準備ができたよう。僕は飲みかけのシャンペーンを一気に喉に流し込みました。

*今週は松尾潔多忙につき、書き下ろしコラムはお休みし、過去の原稿を再録いたしました。
『ef 』2002年5月号。連載コラムの第1回でした。

Vol.25「短文集~その1~」

 梅雨明けのこの暑さには閉口しますが、みなさんお元気でしょうか。
 酷暑の中にもニュアンスの変化を感じる一瞬があります。例えば、午後1時にスタジオに入る時に感じた陽射しの殺人的威力が、小休止をとるべくコーヒーショップに出かける午後3時にはいくぶん弱まっていたり。地球は回っている。

 さて、最近はじっくりコラム執筆に向かう時間が確保できず、申し訳なく思っています。今週もちょっと時間が足りないんですが、穴あけちゃうのは避けたいなぁ。自分の性格上、このままきっかけを失ってずるずると休載が続きかねませんから。

 というわけで、とにかく何か書いてみよう、と。
 以下、最近思ったこと、感じたこと、体験したことを端的に。ひと筆書きで。
 
・ドラマ『女系家族』の主人公・浜田文乃役の米倉涼子嬢、好演。当分の間は山崎豊子作品専属でいいんじゃないか、涼子さん。私は『黒革の手帖』の主人公・原口元子と浜田文乃は同一人物と思い込んで観ています。
 
・ミュージシャンにクールビズの概念はない。もとよりTシャツ着用派、環境省提唱のこの言葉の入り込む余地があるわけないです。とっくに実行してます。

福岡ソフトバンクホークスの和田・吉武両選手をめぐる醜聞について。とにかく手紙の返事は受け取った人が書くべきでしょう。

・自宅の庭に20センチほどの亀が迷い込んできました。で、飼うことに。ペットを飼うのは20数年ぶりのこと。小学生の時以来です。実はその時も迷子の亀を保護して飼ったんですが、いつの間にか逃げられたという悲しい過去。それにしても餌を食べる亀の姿は獰猛ですねえ。あまりに愛想がないので亀蔵(カメゾウ)と命名。

 それでは、また来週。

Vol.24「凡夫の悲しさ」

 先週はどうしても更新できませんでした。
 拙コラムを楽しみにしていただいている皆さんにはたいへん申し訳ないです。連載スタート以来、どんなに遅れても週一の入稿は何とか怠らずにきたのですが、先週ばかりはどうしても入稿できませんでした。理由はレコーディング・スケジュール等の物理的状況ではありません。私の人生を決定づけたひとりの男性が逝去したのです。

 ご存じのように、ルーサー・バンドロスが7月1日に亡くなりました。

 これまで特に説明することもありませんでしたが、私が代表を務める事務所の名前は彼の81年のソロ・デビュー・シングルのタイトルに由来しています。初対面の方に名刺を差し出した時、この事務所名にすぐ反応してお声をかけて下さることがあります。国内だと20人にお会いして1人の割合でしょうか。米英のR&B業界の方なら、まず十中八九。そんな時、私は不覚にもビジネスマインドを失してしまいます。好きなことを生業にしてしまった者特有の甘さなのかな。駄目だな、私は。

 ルーサー逝く。この重すぎる現実にどう対峙すればよいのか。心の整理つかず、数日が過ぎました。本コラムにその想いと思い出を綴ろうと思いあぐねてまた数日。書いては読み直し、自分の文章力のなさに嫌悪すること数日。それでも書いては、消去。書いては、消去。結局今日に至りました。

 彼の死後、久保田利伸さん、和田昌哉さん、川口大輔さんといったシンガーの方がた、それに私の元マネージャー・渡辺祐さんからも弔いの言葉をいただきました。「ご親戚でもないでしょうが」と気遣ってくださったのがありがたかった。

 山下達郎さんは、メル・テイラー(ベンチャーズのドラマー)が1996年に亡くなった時にご自身が抱かれた感慨がちょうど今の私と同じようだった、と。当時達郎さんが雑誌「CUT」に連載されていた音楽コラムのメル・テイラー追悼文は、確かに今の私の心情を言い表しているような気がしてなりません。その書き出しは以下のようなものでした。

「形あるものは必ずいつか失われる時が来る。などと、頭ではわかっているつもりでも、凡夫の悲しさ、いざとなると動揺を隠せない。」

 終生日本の地を踏むことがなかったルーサーのステージを、私は幸運にも5回ほど観ています。それのみならず、終演後の楽屋を訪ねたり、宿泊先のホテルを訪ねて長時間インタビューした経験もあります。そのことを知るファンの方がたから、本連載でその話を書いて欲しいとのご要望をいただいているのですが…ごめんなさい。その時期が来るのを待っていただけませんか。

 いま私の手元には、彼とのツーショットのポラロイド写真があります。
 彼のまるい笑顔は永遠のものです。その歌声もまた。

 それでは、また来週。

 

Nelson George『Buppies, B-Boys, Baps & Bohos』
(1993年。2001年に増補版が刊行)
ルーサーについてのコラムを収録。最も優れた短評のひとつ

Vol.23「作詞といえば」

 金曜日更新が軽く定着しつつある本コラムですが…ご愛読、感謝です。

 早いものでもう7月。相変わらず慌しい日々です。ここで今すべてをお話しすることはかなわないのですが、実にいろんな方がたとお会いしていますよ。アイボリーブラザーズと7ヶ月ぶりにスタジオ入りしたり、某人気グループのメンバーのソロ作のお手伝いをしたり。久しぶりの韓国にも行きました。

 松尾潔としては久々となる、作詞のみのお仕事も進行中です。プロデュースワークの一貫としてノークレジットのまま作詞に関わることがほとんどの私にとって、作詞のみのご依頼というのは実は数えるほどしかありません。昨年の椿さんとTakeくん(Skoop On Somebody)のデュエット「ヒカリ」以来でしょうか。あの時はプロデューサーのFace 2 fAKEとTakeくんから受けたご指名でした。

 作詞といえば、思い出ぶかいのは久保田利伸さんの2002年のアルバム『United Flow』に2曲(「DO ME BABY」「MOONSTRUCK」)提供したことでしょうか。プロデューサーは当然久保田さんご本人です。普段の自分に付いてまわるプロデュースの責任(呪縛?)から解放され、明確な理由と共にディレクションを受けるのは新鮮な気分で楽しいものです。作詞家としてアーティストに向かい合うことが楽しい、という面も当然あります。

 私にとって作詞家への発注作業は作詞の実作業以上に神経を使うものです。また、そうでなければならないと考えています。

 以前に某アーティストAをプロデュースした時のこと。まずは人気作曲家B氏に曲を書き下ろしてもらいました。これがもう素晴らしかった。その世界観に何のバイアスもかけずにただスケール感だけを増幅したいと考えた私は、B氏自身の推薦もあり、B氏と組むことの多い新進作詞家C氏に詞を発注することにしました。

 私が面識のないC氏にまずはお会いしようとしたのですが、あいにく遠く離れた地方都市在住とのこと。ならばせめて電話で打ち合わせを、と思ってC氏のマネージャーにそう伝えたところ「Cはアーティストともプロデューサーとも会わずに電話も使わずにイメージを作り上げていく主義です」との返答が。不自然さは感じたものの、なるほどそういう考え方もあるかと自分に言い聞かせました。「B氏さえCに一度も会ったことがないのです」というマネージャー氏の言葉には妙な説得力がありました。結局私はC氏の意向に従い、メールのやりとりのみでディレクションを与えていくことになりました。

 結果できあがったものはなかなか完成度の高い詞でした。スタッフの評判も上々です。ただAがどこか晴れない表情をしていたのが気にかかったのですが、とにかくデモを録ることに。いざ聴いてみると、メロディと詞、声と詞の双方のマッチングもよい。これは完璧だと確信を得た私はAにその旨を述べました。するとAはやや思いつめた表情でこう言うのです。「確かにこの詞は最高かもしれません。私も好きなタイプです。ただ、ある箇所が私が学生の頃から好きな人気グループDのある曲に酷似しているのがどうしても気にかかるのです。今まで言い出せずにいたのですが、いざマイクに向かってみるとこのソックリ具合にはやっぱり抵抗を感じるのです。気にしすぎかもしれませんが…」

 寡聞にしてDの曲をよく知らなかった私は、その曲を用意して恐る恐るAの新曲と聴き比べてみました。「気にしすぎ」ではなく、明らかにこの2曲は酷似していました。口の悪いスタッフは半ばヤケ気味に「Cさんアッパレ!」とさえ言います。確かに、聴く人によっては単にストレートな「引用」と感じるかもしれません。それほどの高い酷似度でした。私とスタッフ、全員一致でその歌詞をNGにしたことは言うまでもありません。C氏に大きな信頼と期待を寄せていただけに、私たちの失望も大きかった。

 その決断を例によってC氏にメールで伝えたところ、すぐに返事がメールで届きました。そこには、洋楽好きのC氏はDを聴いたことがなかったこと、私に指摘されて初めて買って聴いてみたが、なるほど似ているかもしれないと感じたこと、もちろん悪意はないのだが、今回はご迷惑をかけてすまなかった…こんな内容が綴られていました。追ってマネージャー氏からも丁重なお詫びの言葉をいただきました。

 このことで得た教訓は2つあります。まず、「作詞家・作曲家とはまずは会うべし」ということ。それだけチェックの機会が増えますし、顔を見合わせてのコミュニケーションはある種の抑止力として機能します。もうひとつは「J-POPをたくさん聴いて損はなし」という教訓。盗用するためではなく、無意識の引用を避けるために。この場合はアーティスト本人の指摘によって難を逃れることができましたが、本来その指摘は私やスタッフから出て然るべきもの。「オレ、洋楽しか聴いてこなかったんで」と、どこか自慢ぶって話すスタッフに会うことがありますが、個人的な音楽生活という趣味の次元で語るならともかく、J-POPを制作することを生業にした以上、そんな発言は職業態度として褒められたものではないでしょう。イイ歳しての無知ほど罪なものはない。自戒の意を込めて。

 で、結局その曲の行方はどうなったかって?
 私の命を受けた小山内舞がまったく新たな歌詞を書いて何とか形になりました。
 そしてC氏……今でもよくB氏とコンビで作品を世に送りだしています。

 それでは、また来週。

 

久保田利伸『United Flow』(2002年)

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