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2005-08

Vol.29「漂えど沈まず」

 隔週連載化しているこの本コラム、奇特にもチェックしていただいている皆さんには、ただもう感謝そして深謝であります。今週書き落とすと8月の純粋な書き下ろしコラムは僅か1本になるところでした。今思えば連載当初から「毎週水曜日頃更新」なんて多分にエクスキューズ臭プンプンなフレーズを添えるあたりが私の自分に甘いところですな。「頃」はないだろ、「頃」は。 

 あんなに恨めしかった暑さも、明らかに下り坂にある今となっては、どこか名残惜しくさえあります。夏よ、行かないで。とか言ってみたり。うん、「行かないで」の前に来る季節名としてはやはり夏がベストですな。これがスキー部員だったりすると冬だったりするわけでしょうか。心当たりのある方はどうかご一報ください。

 さて、山下達郎さんの7年ぶりのオリジナル・アルバム『ソノリテ』が9月14日に発売されます。その1曲「KISSからはじまるミステリー」のプロダクション・コーディネイトをお手伝いしました。「KISSミス」といえばKinKi Kids初期の名曲ですが、オリジナルでは作詞ご担当の松本隆さんがお書きになっていたラップ・パートを、今回はケツメイシのRYOさんに新たに書き下ろしてもらい、客演もお願いしました。これは私の(プロデュース名義ではなく)プロダクション・コーディネイト(PC)作品の中では快心の1曲となりました。是非ご一聴いただきたいです。
 
 他の方ならいざ知らず、私がプロデュースというクレジットを使う時は、曲作りの構想からマスタリングに至るまでの一切の責任を負っています。TVタイアップがついている時は番組のプロデューサーととことん議論することもあります。しかし、そういった一連のプロデュース作業のある部分を特化して請け負うPCの場合、プロデュースの制約から開放されてイマジネーションが湧くことがあります。これがPCの醍醐味。ある意味において私はプロデュースよりPCのほうが向いていると思います。漂えど沈まず、が。
 
 以下、これまで特に思い出に残っているPC作品ベスト3。その挿話とともに。

・SPEED「STEADY」(1996年)
 当時はTLCが飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍中でした。私は「Waterfalls」のプロデューサー、オーガナイズド・ノイズの頭脳であるエンジニア、ニール・ポーグをミックスに推挙。待つことしばし、アトランタから最高の音が届きました。がしかし、SPEEDの事務所トップの「この音は黒すぎる」というご判断でお蔵入りに。2000年のベスト・アルバム『Dear Friends 1』に”Atlanta Mix”名義でようやく陽の目を見ました。そういえば1996年はアトランタでオリンピックが開催されたのでした。開会式の音楽監督はジャム&ルイスでしたね。なお、ニール・ポーグは最近ではTAHITI80の新作に参加しています。

小泉今日子「夢の底」(1998年)
 アルバム『KYO→』の収録曲です。『KYO→』は楽曲を一般公募したという画期的なアルバムでしたが、私はこの審査団の一員でした。なかでも特にお気に入りだったのがこの曲。その頃私がブレーンとして関わっていたMISIAを誘ってアドリブをフィーチャーしました。あと、当時としては珍しかった「アルバムの特設ホームページ」の運営にも私は関わっており、スペシャル・コンテンツとして小泉さんと一緒にショートショート・ストーリーを何本か創作しました。今で言うコラボってヤツですか。あれ、本にならないかな。先日ある結婚式で小泉さんにお会いして、そのコラボを久々に思い出しました。アルバム・プロデューサーの田村充義さんのお仕事ぶりにはたいへん影響を受けましたね。

鷺巣詩郎「SWEET INSPIRATION」(2000年)
 アルバム『SHIRO’S SONGBOOK 2』の収録曲です。参加陣が豪華でして、ロンドンからFREEDOM GOSPEL CHOIR、東京からは佐藤竹善平井堅、露崎春女(現Lyrico)、MICHICO中西圭三、そして吉田美奈子の諸氏。東京勢のレコーディングは、美奈子さんを除く5名が一堂に会して原宿の某スタジオで行われました。チャリティー等の公共的なイベントではなく、鷺巣さん個人の作品制作ですからね。こんな集合レコーディングは異例中の異例でしょう。ま、美奈子さんの単独レコーディング日となった翌日のほうが余程エネルギーを消耗しましたが。

 それでは、また来週。

Vol.28「短文集~その2~」

 お盆も明けましたが、夏の陽射しは弱まる気配を見せません。
 しかし、果てなく続くように思える夏にも、まあ果てはある。ちゃんとある。

 依然としてじっくりコラム執筆に向かう時間が確保できず、申し訳なく思っています。先週はお盆だから書けなかったのではなく、お盆にもかかわらずプロデュースや作詞に忙殺されていたのでした。ほどなくその成果をご報告できると思います。しばしお待ちを。

 数週間前の短文集を覚えていらっしゃいますか。存外に評判がよかったんですよ。結構な数のお便りをいただきました。というわけで、今週は2回目。
 以下、最近思ったこと, 感じたこと、体験したことを端的に。ひと筆書きで。
 
・私の仕事場からほど近い渋谷の代々木第1体育館横に人工ビーチ出現。言うまでもなくパリ・セーヌ川のプラージュのマネッコです。スカパー!が企画した『スカパー!東京ブラージュ』なる期間限定の催事なり。砂はすべて中国からの輸入モノだとか。物流って凄いですねぇ。どこか神戸ルミナリエ、東京ミレナリオを思わせるこの企画は8月21日まで。私はすぐそばのプールのほうをオススメしますが。
 
・私の知人である「やなぎ みわ」さんが北品川の原美術館で個展を開催しています。タイトルは『無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語』。いわゆる「女性性」の表現の第一人者としてご活躍中のやなぎさん。今回の写真、CG、ビデオを駆使した作品群も一貫して女性をモチーフにしています。私は先週末のオープニングパーティーに出席してきました。なかなか面白い個展でしたよ。ご存じの方も多いと思いますが、原美術館という空間自体が素敵ですからね。最近ちょっとイイ感じの品川エリアの散策も兼ねてお出かけになっては。11月6日まで。休館日は月曜日。

・亀蔵脱走! 悲嘆にくれる数日間。なんと今度は拙宅の庭に亀蔵よりさらに大ぶりの亀現る。とはいえ、無愛想は同じ。アイディアひらめかず、亀吉(かめきち)と命名。再び飼うことに。亀吉のことを好きになろうとしても、どこかに亀蔵の面影を求めている自分に気づいたり。これじゃ人間相手の恋と一緒ですな。がしかし、さらに数日後、近所で「逃げた亀をさがしてください」との貼り紙発見。む。これは。聞けば「2匹逃げて娘が悲しい思いをしています」と。この亀ですかと亀吉を差し出せば「これですこれです!でも、あと1匹!」ああ、亀蔵!みんなが亀蔵をさがしている!意外にして現実的な結末。突然のエンディングに心の穴埋まらず、結局ペットショップに出向き、小ぶりのミドリガメを購入。あらためて亀のオーナーとなる。命名・緑子(みどりこ)。

それでは、また来週。

Vol.27「過去原稿再録:『ef』(2002年7月号)松尾潔的音楽旅日記より」

 『7月4日に生まれて』という映画がありました。さよう、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日です。その日に最も近い週末はジュライ・フォース・ウィークエンドと称され、全米各地ではいろんなイベントが催されます。ここ数年、南部のジャズの都ニューオリンズの風物詩として花火大会を上回る存在になったのが、アフリカ系アメリカ人女性に圧倒的な支持を得ている月刊誌『エッセンス』主催の音楽祭。総動員数30万人の宴が繰り広げられる数日間、街は褐色の肌一色に染まります。

 その第1回となる95年、僕はその会場にいました。熱狂のうちに迎えた楽日の7月3日。ルイジアナ・スーパードームのステージに立ったのは大統領候補でもあるジェシー・ジャクソン師。師は先週末の6月30日に自死を遂げた女性シンガー、フィリス・ハイマンを悼み、10万人の観客がそれに続き黙祷を送りました。

 アース・ウィンド&ファイアーのフィリップ・ベイリーが歌い上げる「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。このフィラデルフィア・ソウル古典曲は、同地出身のハイマンの名唱でもよく知られています。時にヒステリックに響くベイリーのファルセットにも、この時ばかりは言霊が宿っていました。もとよりこういう弔い方はハイマンのスマートな音楽的流儀に相応しかったので。

 翌日、ミシシッピーの堤防に腰を下ろして観た花火には、寒気を催すほどの美しさが満ちていました。無論、旅人の感傷によっていくぶん増幅されて目に映ったのかもしれません。が、豊かな彩りは長身で知られたハイマンのゴージャスな美貌を、激しい轟音は彼女のディープヴォイスを確かに思い出させました。

 夜が明けて僕はニューヨークに飛びました。フィラデルフィア生まれのハイマンは、ニューヨークでスターの座を射止めました。『ソフィスティケイティッド・レイディーズ』でブロードウェイに立っていたことも。そんなことを思い出しました。ホテルから同地在住の久保田利伸に電話を入れました。ふた月後に全米デビューを控えた彼の周辺には、奇しくも往時のハイマンのスタッフが何人もいて。デビューを祝福するための電話のはずが、気がつけばハイマンの話題になってしまったのは自然なことです。何より久保田さんは彼女の熱心なファンでしたし。

 「先週の金曜日だったよね、亡くなったの。あの日、アポロシアターに行ったんだ。フィリスのコンサートが開かれることになってたから。でもその日彼女が自殺したことは知ってたから、どうするんだろって。それを自分の目で確かめたくって」いつもは軽妙なジョークでならす彼も、この日ばかりは違いました。「彼女のバンドがフィリスのレパートリーを演奏して、コーラスの男があまり上手くはない歌を唄った。ヘンな気分だった。その後ウィスパーズが出てきて弔いの歌を演ったら、さすがにぼくもジーンと…」

 午後、服を買うために寄ったバーニーズ・ニューヨークの店員との立ち話で、僕はハイマンの告別式が今夜行われることを知りました。19時。レキシントン通り54丁目の聖ピーター教会。定刻を少し過ぎて到着したら、付近は黒人の人だかり。窓から見える壇には彼女のポスターが飾られているのが確認できます。「こんなに多すぎちゃ中に入れないわ」教会に入れないファンの口からはため息が漏れ聞こえてきます。が、その場を立ち去るものはひとりとしていません。見回せば、喪服に身をつつむ人も少なくありません。

 こうしてフィリス・ハイマンは天に召されていきました。7月6日は彼女の46回目の誕生日でした。旅先でPCを利用することが一般的でなかった頃の話です。インターネットを経ることなく、肉声の情報に導かれてたどり着いた夏の葬列はしかし、実に趣深いものでした。

*今週は松尾潔多忙につき、書き下ろしコラムはお休みし、過去の原稿を再録いたしました。
『ef 』2002年7月号。連載コラムの第3回でした。

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