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2005-11

Vol.40「襞の悦び」

 陽射しの強い季節にスタジオにこもって作った曲たちが次々と世に出ていきます。実りの秋、と言わせてください。この1週間というもの、その楽曲たちに反応してくださった本HP読者のみなさんから実に多くのお便りをいただきました。ありがとうございます。嬉しいもんですねぇ。 

 元来、私のような裏方はライブパフォーマンスするミュージシャンと違いダイレクトな反応を得にくいものです。だから普段はやむを得ず数字を見ます。セールスとかオンエア回数とか。CD出荷数、消化率、バックオーダー、地域分布、ダウンロード数、試聴回数…。ミュージシャンがアーティスト活動を長らえるために必要不可欠な、でも自分ではやりたがらない作業をやるのが私の仕事です。大勝ちはしなくてもいい。でも負けちゃいけない。負けなければミュージシャンはもう一度プロとして音を鳴らすことができる。 

 ええ、数字に一喜一憂もしますよ、不本意ではあるけれど。お客さんが来なきゃお店は潰れる、それが資本主義ですから。でも残念なことに数字は深みや感触までは解析できません。どんなに細分化した調査項目でもタッチできないココロの襞がある。確実にある。少年時代に体感した「襞」レベルの快楽、その謎を知りたくて私は音楽制作を生業にしたのかもしれません。 

 話はまったく変わりますが。
 何を食べても美味しく感じられる季節ですねえ、秋。鮨のネタの変化に冬の入り口の気配を感じます。あれも食べたい、これも食べたい。といいながら、今シーズン、上海蟹もまだ口にしていないなあ。そろそろジビエどきでもあるな。こんなことばかり考えているので、この時期は仕事中に集中力を途切らせないように自分を鼓舞するのが、もうたいへんな苦労で。ほんと、口が卑しくてすみません。 

 食べれば太る。当然の話。でも、太りたくはない。切実なハナシ。かといって、食べる快楽は止められない。カラダの襞、が悦ぶから。というわけで、ジムに通っては重いものを上げ下げしている今日この頃であります。ま、そのあとの一杯がまた美味くて困っちゃうんですが。

 それでは、また来週。

 


安藤裕子「さみしがり屋の言葉達」(2005)
この秋最高の1曲。声・詞・曲・音が絶妙なバランス。
それはもう惑星直列のようで。

Vol.39「まばたきをするうちに」

 私がまばたきをするうちに秋は過ぎたのかな。
 そもそも、「夏と冬のあいだ」こそが秋の定義、と言った人もいたような。

 夏に深く関わっていた稲垣潤一さんのアルバム『Unchained Melody』がいよいよ11月23日(水)にリリースされることになり、このところそのプロモーションのため稲垣さんとご一緒する機会が多いです。テレビ番組のため対談を収録したり、新聞や雑誌の取材を受けたり。まあこれらの情報の詳細はWHAT’S NEWで。

 で、Kくんのシングル「Only Human」も同じ11月23日(水)リリースなんですよ。今回は珍しく作曲も担当したので、この夏は実に久しぶりに鍵盤に向かっていたのでありました。当コラムをしばらくサボっていたのはそんな理由からです。今頃になって遅すぎる言い訳ですみません。ちなみにこの曲が主題歌になっているドラマ『1リットルの涙』もいよいよ佳境ですね。私も毎回涙しちゃってますが。

 わが青春の街・阿佐ヶ谷のお洒落なミニシアター『ラピュタ阿佐ヶ谷』で今年いっぱい『ミステリ劇場へ、ようこそ。』なる日本映画の上映シリーズが開催されています。私は今週『姿なき目撃者』を観てまいりました。昭和30年のモノクロ作品。越路吹雪さんの女優ぶりを観たくて足を運んだのですが、観終える頃には久慈あさみさんのお色気にノックアウトされていた次第。長年の知人と観に行きましたので、鑑賞後はホルモン焼きをつまみながら気のおけない映画論議、昭和論議を。話はずんで、トピックは三島由紀夫の自決、関川夏央さんの著作にまでおよび。その後、場所を某ソウルバーへと移し、GeminiやRobert Brookins等の80′sファンクを堪能。最近の阿佐ヶ谷は駅周辺の飲食店に活気が戻っているように思います。

 先日、久保田利伸Skoop On Somebody、川本ゴン太、松原憲、宇多丸(ライムスター)、RYOJI(ケツメイシ)…といったR&B/ヒップホップ畑のみなさんと呑みました。みんな古い知り合いばかりだったせいか、それはそれはユルい時間で。
 肌寒い季節になって私もちょっと人恋しくなっているような気もします。
 秋は過ぎたのかな。

 それでは、また来週。

 


Robert Brookins 『Let It Be Me』(1988)
コテコテの「ブラコン座り」なポーズに感服。
EW&F公演の鍵盤奏者として日本にもよく来てますな。

Vol.38「博多、1983年」

 今週は10数年ぶりの公開放送にチャレンジしました。しかも2日間も。渋谷HMVにお集まりいただいた方がた、ありがとうございました。しかし『GROOVE LINE』という番組は面白いものですね。3時間半の放送時間中、ギャラリーも増えたり減ったりで。「恋のマイアヒ」をかけた途端に人がたくさん寄って来たりして。ああこんな感じなのねといい勉強になりましたよ。音楽制作のヒントを得たような気も。どうかな。

 本田美奈子.さんがお亡くなりになりました。一面識もありませんでしたが「同学年」ゆえにその存在は何となく意識していました。20年前にも「同学年」の歌姫が亡くなったことを思い出しました。岡田有希子さんです。ただ今回のショックは岡田さんの時とは異質のものでした。死の重みに差はないはずです。受けとめる私がただ変わったということなのでしょう。心よりご冥福をお祈りします。やはり「同学年」の清原和博選手の去就が急に気になってきました。

 先週末に博多に帰省し、ソニー・ロリンズの引退コンサートを観ました。ドラムにキース・リチャーズや奥田民生さんとの共同作業で知られる名手スティーブ・ジョーダン(映画『ライトニング・イン・ア・ボトル』の音楽監督でもある)を配し、ギターには私の高校時代のアイドル、ボビー・ブルーム。その一方でベースはロリンズ・バンドの長年の番頭格ボブ・クランショーが務め、万全の演奏でした。

 ロリンズの日本公演は22回目だそうです。今回の来日にあたっては、私の周囲のジャズ・ファンは「今回は自分の知るかぎり3回目の『引退』公演」などと口さがないことを言っていたものです。しかし、70代半ばという年齢、そしてマネージャーだった愛妻を昨年亡くしたという事情を知れば「引退」の重みも特別です。夏にチケット発売がスタートされるとすぐに私は2座席分買ったのでした。

 私がジャズのライブを初めて観たのは1983年7月のことです。高校1年生でした。当時日本最大のジャズ・フュージョンの祭典「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」。全国数ヶ所で催されたこのフェスティバル、83年の福岡会場は福岡国際センターでした。出演はソニー・ロリンズ、チック・コリアパット・メセニー。今考えてもちょっと眩暈がしそうなラインナップだなあ。会場でもらったステッカーを何に貼るのかずいぶん迷ったものです。

 今でもそうでしょうが、その種のジャズフェスで15、6歳の少年はほとんど見かけないものです。その夜の会場にいた数少ない高校1年生のひとりが私であり、もうひとりが現在アレンジャーとして活躍される安部潤さんでした。彼とはそれから20年近くたってCHEMISTRYのバラード「TWO」で初めて一緒に仕事することになります。

 実を言うとそれまで私はジャズに格別強い興味があったわけではありません。まあ自宅にある父親のレコードをたまに聴いていた程度で。「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」にも父親に連れて行ってもらったのでした。パット・メセニーのバックで淡々とベースを弾くアルフォンソ・ジョンソンに衝撃を受けたからこそ自分もベースを始めたわけですし、その後音楽と深く関わっていくきっかけとなった決定的な一夜でした。

 国際センターの帰り道、タクシーに乗った父は私に「中洲に行くぞ」と無愛想に言いました。ご存じの方も多いでしょうが、中洲は九州最大の歓楽街です。彼の意味することは何となくわかりました。それから10分もしないうちに私は艶やかな着物やセクシーなワンピースに身をつつんだ大人の女性たちに囲まれていました。「息子さんも水割りでいいと?」「うすーくしといてつかあさい(薄めにしてください)」女性と父親のこんな会話を私はただただ緊張して聞いていました。

 それまでにも悪友たちと焼き鳥屋などで安酒を流し込むことはありましたが、琥珀色の酒を女性にサーブしてもらうのは初めての体験でした。トイレから戻ると差し出されるおしぼり、「センセイ」と呼ばれる店の専属ピアニストの存在…どれもが新鮮でした。正直に言うと、ソニー・ロリンズたちの演奏をしばし忘れさせるほどの時間でした。以来、私がジャズと聞いていつも酒と女性を思い浮かべてしまうのはこの夜のせいです。

 22年ぶりに父親と観たソニー・ロリンズは、よろけた歩き方に不安を感じさせるものの、ステージング自体は驚くほどパワフルでした。1曲演奏が終わるたびにガッツポーズを作り、博多人特有のしつこいアンコールにもしっかり応えてくれました。この「引退」は余力を残したものでした。ロリンズはそういう選択をしたということでしょう。ジャズ・ファンなら知っている「橋」の伝説を例に挙げるまでもなく、彼の人生との対峙の仕方はまさにソニー・ロリンズ流としか表現できないものです。

 会場で入手したパンフレットにはタモリさんがコメントを寄せていました。彼の早大ジャズ研時代の同級が70年代にロリンズ・グループに加入したギタリスト増尾好秋さんだったのですね。その縁でタモリさんは70年代にロリンズのリハーサルを観たことがあるそう。とにかく、ここでご紹介したいくらいの名文でした。

 アンコールも終わり、観客全員が立ち上がってオベイションを送ります。私も立ち上がろうとしたのですが、ふと隣席の父親の表情を見てやめました。ふだん怒哀楽がすぐ顔に出てしまう父親が、その時は目蓋を閉じたまま静かな笑顔を浮かべていたからです。ゆっくりとリズムをとりながら。そこだけ無音のようでした。彼は何を考えていたのでしょうか。

 会場を後にして、私は父親を鮨に誘いました。彼は私にというよりも店の主人に向かって饒舌を披露しました。序盤こそジャズ論でしたが、酒が入るにつれそれは脈絡のないものになってきました。私はもっぱら聞き役に回っていたのですが。

 その時、父親がソニー・ロリンズと同世代であることに初めて気づきました。今までどうして意識しなかったのでしょう。不思議。でも、そんなものかな。

 それでは、また来週。

 


Sonny Rollins『Saxophone Colossus』 (1956) 
まず1枚と聞かれたらコレです。 
「巨人」のニックネームはここから。

 


Bobby Broom 『Livin’ for the Beat』(1984)
収録曲「Find Yourself」は長年のお気に入り。

Vol.37「李下の冠」

 今回のコラムもまたラジオ出演情報から。来週11月8日(火)9日(水)の2日間は、J-WAVE『GROOVE LINE』(16:30~20:00)に出演いたします。首都圏の方にはつとに有名なピストン西沢さんと秀島史香さんの名コンビによる超人気プログラムですが、この2日間は例年ピストンさんが「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員のお仕事で番組をどうしてもお休みしなければならないそうで。私の長年の知り合いであり、『GROOVE LINE』番組プロデューサーでもある(!)ピストンさんからの個人的なご依頼だったのでお受けした次第。ま、秀島さんの熱いファンですからね、私は。

 先日、打ち合わせのために『GROOVE LINE』放送スタジオのある渋谷HMVを訪ね、久しぶりにピストンさんと秀島さんにお会いしてきました。その時お二人と話していて思い出したのが、2000年の暮れに番組にお邪魔した時のこと。当時私がプロデューサーとして出演していたテレビ東京の『ASAYAN』の番組内企画『男子ヴォーカリスト・オーディション』で、最終選考に残った3組4名の期間限定ユニット「ASAYAN超男子」が唯一プロモーション出演させていただいたラジオ番組がこの『GROOVE LINE』なのでした。その頃の私は彼らに付きっきりで面倒を見ていましたから、その出演の際も番組立会いに行ったものです。今ではどれくらいの方がこのユニットを記憶されているのでしょうか。そのうちの1組、川畑・堂珍ペアが現在のCHEMISTRYであります。

 さて、話変わって近況など。先週から今週にかけては久々にminkとスタジオに入りました。前回は私の希望でイーグルスの「言いだせなくて」をカバーしましたが、今回は先方からの希望で某有名ゴスペル曲を取りあげましたよ。minkとはたいへん気が合うので、スタジオではおしゃべりでたいへん盛り上がりました。また、料理が得意の彼女はスタッフに手作りのお弁当をふるまってくれたのですが、これがもう美味しくて。忘れられないレコーディングになりました。アレンジャーのURUさん、エンジニアの工藤雅史さん(ちなみにこのお二人とは平井堅さんのアルバム『THE CHANGING SAME』以来のお付き合い)もいつにも増して笑顔で作業を終了。この曲は来月にはリリースされるのでまた近々お知らせいたします。

 最後に近頃よく聴いている新譜を2枚ご紹介。まず1枚は来日公演が中止になったばかりのフェイス・エヴァンスの『A Faithful Christmas』。意外なことに彼女にとって初めてのクリスマス・アルバムなんですね。カバー主体ですが、嬉しいことに2曲あるオリジナルの出来がわりといいのですよ。あと1枚はフランス発の男性R&Bシンガー、ナイアの『Nyr』。フランス発といっても全編英語なのでご安心を。70年代テイストが横溢した作品です。クリストファー・ウィリアムズの悶絶美メロ「Dance 4 Me」をカバーするセンスは私も他人事とは思えません。オリジナル曲でも、元ネタが容易に、かつ具体的に浮かぶのもご愛嬌。アルバム終盤でスティービー似のイントロが流れてきたので「これじゃ、まんま”Lately”では!」と思ったら、ホントに「Lately」のカバーでした。李下に冠を正さず、とはいえ、疑ってゴメンナサイ。

 それでは、また来週。

 

 

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