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2005-11-11

Vol.38「博多、1983年」

 今週は10数年ぶりの公開放送にチャレンジしました。しかも2日間も。渋谷HMVにお集まりいただいた方がた、ありがとうございました。しかし『GROOVE LINE』という番組は面白いものですね。3時間半の放送時間中、ギャラリーも増えたり減ったりで。「恋のマイアヒ」をかけた途端に人がたくさん寄って来たりして。ああこんな感じなのねといい勉強になりましたよ。音楽制作のヒントを得たような気も。どうかな。

 本田美奈子.さんがお亡くなりになりました。一面識もありませんでしたが「同学年」ゆえにその存在は何となく意識していました。20年前にも「同学年」の歌姫が亡くなったことを思い出しました。岡田有希子さんです。ただ今回のショックは岡田さんの時とは異質のものでした。死の重みに差はないはずです。受けとめる私がただ変わったということなのでしょう。心よりご冥福をお祈りします。やはり「同学年」の清原和博選手の去就が急に気になってきました。

 先週末に博多に帰省し、ソニー・ロリンズの引退コンサートを観ました。ドラムにキース・リチャーズや奥田民生さんとの共同作業で知られる名手スティーブ・ジョーダン(映画『ライトニング・イン・ア・ボトル』の音楽監督でもある)を配し、ギターには私の高校時代のアイドル、ボビー・ブルーム。その一方でベースはロリンズ・バンドの長年の番頭格ボブ・クランショーが務め、万全の演奏でした。

 ロリンズの日本公演は22回目だそうです。今回の来日にあたっては、私の周囲のジャズ・ファンは「今回は自分の知るかぎり3回目の『引退』公演」などと口さがないことを言っていたものです。しかし、70代半ばという年齢、そしてマネージャーだった愛妻を昨年亡くしたという事情を知れば「引退」の重みも特別です。夏にチケット発売がスタートされるとすぐに私は2座席分買ったのでした。

 私がジャズのライブを初めて観たのは1983年7月のことです。高校1年生でした。当時日本最大のジャズ・フュージョンの祭典「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」。全国数ヶ所で催されたこのフェスティバル、83年の福岡会場は福岡国際センターでした。出演はソニー・ロリンズ、チック・コリアパット・メセニー。今考えてもちょっと眩暈がしそうなラインナップだなあ。会場でもらったステッカーを何に貼るのかずいぶん迷ったものです。

 今でもそうでしょうが、その種のジャズフェスで15、6歳の少年はほとんど見かけないものです。その夜の会場にいた数少ない高校1年生のひとりが私であり、もうひとりが現在アレンジャーとして活躍される安部潤さんでした。彼とはそれから20年近くたってCHEMISTRYのバラード「TWO」で初めて一緒に仕事することになります。

 実を言うとそれまで私はジャズに格別強い興味があったわけではありません。まあ自宅にある父親のレコードをたまに聴いていた程度で。「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」にも父親に連れて行ってもらったのでした。パット・メセニーのバックで淡々とベースを弾くアルフォンソ・ジョンソンに衝撃を受けたからこそ自分もベースを始めたわけですし、その後音楽と深く関わっていくきっかけとなった決定的な一夜でした。

 国際センターの帰り道、タクシーに乗った父は私に「中洲に行くぞ」と無愛想に言いました。ご存じの方も多いでしょうが、中洲は九州最大の歓楽街です。彼の意味することは何となくわかりました。それから10分もしないうちに私は艶やかな着物やセクシーなワンピースに身をつつんだ大人の女性たちに囲まれていました。「息子さんも水割りでいいと?」「うすーくしといてつかあさい(薄めにしてください)」女性と父親のこんな会話を私はただただ緊張して聞いていました。

 それまでにも悪友たちと焼き鳥屋などで安酒を流し込むことはありましたが、琥珀色の酒を女性にサーブしてもらうのは初めての体験でした。トイレから戻ると差し出されるおしぼり、「センセイ」と呼ばれる店の専属ピアニストの存在…どれもが新鮮でした。正直に言うと、ソニー・ロリンズたちの演奏をしばし忘れさせるほどの時間でした。以来、私がジャズと聞いていつも酒と女性を思い浮かべてしまうのはこの夜のせいです。

 22年ぶりに父親と観たソニー・ロリンズは、よろけた歩き方に不安を感じさせるものの、ステージング自体は驚くほどパワフルでした。1曲演奏が終わるたびにガッツポーズを作り、博多人特有のしつこいアンコールにもしっかり応えてくれました。この「引退」は余力を残したものでした。ロリンズはそういう選択をしたということでしょう。ジャズ・ファンなら知っている「橋」の伝説を例に挙げるまでもなく、彼の人生との対峙の仕方はまさにソニー・ロリンズ流としか表現できないものです。

 会場で入手したパンフレットにはタモリさんがコメントを寄せていました。彼の早大ジャズ研時代の同級が70年代にロリンズ・グループに加入したギタリスト増尾好秋さんだったのですね。その縁でタモリさんは70年代にロリンズのリハーサルを観たことがあるそう。とにかく、ここでご紹介したいくらいの名文でした。

 アンコールも終わり、観客全員が立ち上がってオベイションを送ります。私も立ち上がろうとしたのですが、ふと隣席の父親の表情を見てやめました。ふだん怒哀楽がすぐ顔に出てしまう父親が、その時は目蓋を閉じたまま静かな笑顔を浮かべていたからです。ゆっくりとリズムをとりながら。そこだけ無音のようでした。彼は何を考えていたのでしょうか。

 会場を後にして、私は父親を鮨に誘いました。彼は私にというよりも店の主人に向かって饒舌を披露しました。序盤こそジャズ論でしたが、酒が入るにつれそれは脈絡のないものになってきました。私はもっぱら聞き役に回っていたのですが。

 その時、父親がソニー・ロリンズと同世代であることに初めて気づきました。今までどうして意識しなかったのでしょう。不思議。でも、そんなものかな。

 それでは、また来週。

 


Sonny Rollins『Saxophone Colossus』 (1956) 
まず1枚と聞かれたらコレです。 
「巨人」のニックネームはここから。

 


Bobby Broom 『Livin’ for the Beat』(1984)
収録曲「Find Yourself」は長年のお気に入り。

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