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2006-11

Vol.60「5周年」

 最近の朝晩は寒うございますなぁ…と、今回は博多の商人風に言ってみました。

 先週、実に久しぶりにコラムを更新したところ、結構な数の反応をいただきました。ブログ全盛の昨今、時代の流れに逆行するオールドファッションドな形式の当コラム。何しろ更新分にたどり着くまで3回くらいクリックしなければならないわけで。ま、その「振り分け」が私の狙いなんですけど。このホームページを会員制とか課金制にするつもりは毛頭ありませんが、浮動票的読者を求めていないことも事実なので。そんな臍曲がりなスタンスをご理解してくださる方がたが少なくないというのは嬉しいことであり、また励みにもなりますね。いやあ、世界は広いや。狭いや。

 本日、CHEMISTRYの初めてのベスト・アルバム『ALL THE BEST』が発売されます。「PIECES OF A DREAM」で2001年春にデビューした彼らにとって今年は5周年。関連のイベントやキャンペーンがずっと展開されてきたわけですが、『ALL THE BEST』こそはそのクライマックス。商品の詳細についてはWHAT’S NEWにお目通し願うとして、このリリースは私にとって何とも感慨深い出来事となりました。

 というのも、2003年6月リリースのサマー・プレミアム・アルバム『Between the Lines』を最後に彼らの仕事から離れて久しい私が、このアルバムで実に3年半ぶりにプロデュースに復帰したからです。その曲「Top of the World」は既発シングル集という位置づけの『ALL THE BEST』にあって唯一の未発表曲として収録されています。制作中は彼らとの仕事でしか得られない感触に身震いを覚えました。これは是非聴いていただきたいなあ。私にとってのこの5年間は「ケミストリーの」という枕詞を冠して語られる日々でもありましたから。それが嫌だったとは言わないけれども、なかなか素直に受けとめられない自分もいました。

 話かわって。真夏の密室でクリスマスソングを作ることが普通とされる音楽制作業ではありますが、この時期になると雑誌への寄稿や放送番組の収録も超先行ペースが求められ、そのことに若干の戸惑いも覚えます。もともとライター業やラジオの仕事のほうが長いのに、この慣習にはずっと慣れません。これはもう気質の問題なので仕方ない。だから自然と音楽制作の比重が増えていったのかしら。J-WAVE『The Universe』もその点が歯痒くて。収録時点での自分の情報量と感性に従順なおしゃべりが、オンエア時には若干の温度差を生んでしまうのは否めません。賢明なるリスナー諸氏諸嬢におかれましてはその点ご考慮いただければ幸いナリ。

 それでは、また次回。

 


CHEMISTRY『ALL THE BEST』
ファンの皆さんの5年間のご支援に感謝。
そして、川畑くん、堂珍くん、おめでとう。やったね!

Vol.59 「いろいろあるよ、いろいろね」

 ほぼ2ヶ月ぶりのご無沙汰です。さすがにこれがロンゲスト・ヤード、じゃなかったロンゲスト・インターバルですね。失礼しました。少し思うところあって執筆をお休みしていました。その間の仕事状況については弊社秘書がお知らせしている通りですが、まあ激しく働いてはいます。あ、そういえば今日はJUNEくんのデビュー日です。どうかひとつよろしく。この子の才能、凄いですから。

 確か前回のコラムでは8月のヨーロッパ周遊のご報告を予告していたのですが、これは機会を逸しましたね、さすがに。実は9月にもニューヨークを旅していました。で、悲願の生バーブラ・ストライザンド体験を果たしました。マディソン・スクエア・ガーデンでのコンサート。隣席はキッスジーン・シモンズ翁でした。ま、余談です。当地では『ジャージー・ボーイズ』等の人気ミュージカルも観賞。遅ればせながらの『ヘアスプレー』にはあら懐かしやテビン・キャンベルの姿が。 

 ま、こういった諸々は先月から始めたJ-WAVE『The Universe』でお話していることですが。カバーしていないエリアの方々、ごめんなさいね。ま、東京でも聴いてる方はそんなにいない番組ですけど。午前3時から5時までの解放区。じゃないとレギュラー番組なんて受けませんって。今のラジオを取り巻く状況には要らぬ規制が多すぎる。『The Universe』は存在自体が奇跡ですな。

 今日久しぶりにペンを執ったのは、私にとって大切なシンガーがまたひとり世を去ったから。ジェラルド・リバートが11月10日にオハイオ州クリーブランドの自宅で息を引き取りました。40歳。死因は心臓発作です。彼は1966年7月13日生まれ。日本的な尺度でいえばR&Bスクールの私の一学年先輩。そういえば彼のレパートリーに”School Me”という曲がありました。ジェラルドの父親はオージェイズのエディ・リバートですが、64歳の彼はまだ元気なのに。そういえばジェラルドはルーサー・バンドロスパティ・ラベルと仲が良いことでも有名でした。62歳のパティは昨年のルーサーに続き今年はジェラルドという年少の友人の葬儀でもレクイエムを歌うことになってしまいました。

 このコラムの読者の皆さんならご存じの方も多いかと思いますが、グループLEVERT名義、ソロ名義、またキース・スウェットとジョニー・ギルとのユニットLSG名義、そのすべての日本盤ライナーノーツの執筆を私は手がけています。特に活動初期は。20代だった私は、彼について認知が十分でなかった当時の日本のレコード会社ご担当を相手に何度も熱弁をふるったものです。結果、日本盤発売や電話インタビューも実現しましたが、それでも彼の名前が日本で浸透することはなかった。悔やまれます。12月に来日するジョニー・ギルはステージで何を語ってくれるでしょうか。

 さて、今回のコラムのタイトルは90年代初頭に何度目かのブームを起こした植木等さんのコンサート名です。今になってその言葉が沁みるなあ。これ、放送作家の河野洋さん作のはず。河野さんといえば私にゴルフを教えてくれた方です。韮山の別荘に泊めていただいて。その後、続けてませんが。シーマセン。ところで当時創刊間もない『東京ウォーカー』で植木さんのインタビュー記事を書いた記憶があるのですが。その掲載号をお持ちの方いらっしゃいませんか。どうかご一報を。謝礼差し上げます。

 それでは、また次回。

 


Gerald Levert & Eddie Levert Sr.『Father & Son』
これが一番のお気に入りというわけでもないのですが。
あちら側に行っても大好きなお父さんの写真があれば寂しくなかろうと。

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