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2008

Vol.71「鴨居のマービン・ゲイ」

 前回のコラムでお伝えしたように、この夏私が最も精力を注いだ2つのプロジェクトはEXILEの新曲「Ti Amo」のプロデュースとNHK-FM『秋の夜長の偉人たち~マービン・ゲイ。そしてソウルが始まった~』の構成・出演でした。先週そして今週と相次いでそれらが世に放たれて、今はゆるやかな充足感を味わっているところです。

 各メディアの報道でご存じのかたも多いでしょうが、「Ti Amo」は上々の滑り出し。14の配信チャート、そしてオリコンのシングル週間チャートでも軒並み首位を獲得しました。応援ありがとうございます。どうか、ひき続き「Ti Amo」をご贔屓に。そして、EXILE and HIROのみんな、おめでとう!
 前回予告したこの作品の極私的プロダクションノーツは次回のコラムに掲載しますね。

 そして、マービン・ゲイ特番。こちらも反響をいただきました。当ホームページに限って言えば、寄せられたお声の数は「Ti Amo」より多かった!ま、ここは特殊空間ですからねえノみなさんの存在を私は誇らしく思っていますよ。

 せっかくの熱が冷めないうちに、番組内容の補足を。
 まず、番組収録が9月初めだったせいで、同月16日のノーマン・ホイットフィールド逝去について言及できませんでした。この場を借りて追悼の意を表します。合掌。
 あと、これは細かい話ですが、レインボウズやマーキーズ時代のくだりで「地元のデトロイト」と言っちゃいましたね、私。番組を冒頭からお聴きのみなさんは文脈で明らかに発言ミスとお気づきになられたことでしょうが(むしろそれを期待!)、正しくは「地元のワシントンDC」です。というか、その前に「ホワッツ・ゴーイング・オン」が大成功を収めた後にDCに凱旋してケネディ・センターでライブを催した話を延々としてるわけで。誤解を招いたかもしれません。失礼しました。
 「リック・ジェームズ、ピーボ・ブライソンといった新興勢力に対しての焦燥」「名曲『セクシャル・ヒーリング』のコーラス・アレンジにおけるハービー・フークワの低音パートの重要性」「ハービーとベリー・ゴーディー」などなど、お話ししたいことは沢山ありましたが、2時間ではとてもとても。
 今回にかぎらず、私はラジオやテレビでの音楽解説に臨む時は下準備を入念にやるタイプです。勿論、音源や資料も十分に取り寄せます。好きなんですね、この仕事が。ただ、おしゃべりのライブ感は損ないたくないので、収録スタジオには資料をほとんど持ち込まないのですよ。早い話が本番では手ぶら状態です。
 持ち込み不可で歴史の試験を受けると、人名や年号はいつも完璧には答えられない性質でした。そのあたりが話し手としての私の限界。でも、音楽そして音楽番組で何よりも優先すべきは「流れ(flow)」でしょう?だから録り直さなかったのさ。許してね。

 以下、余談として。
 番組を聴いたという姉から「あなたは昔からマービン・ゲイが好きだったよね。高校時代に部屋にポスター飾ってたでしょう?」というメールをもらいました。
 そんなこともあったっけ…と記憶を紐解いてみたら、確かに飾っていましたね。ポスターではありませんが『That Stubborn Kinda’ Fellow』のLPジャケットを。私の部屋は和室でしたが、その鴨居にはいくかのアルバムを横並びにして飾っていたものです。
 さながら「鴨居LPミュージアム」。この字面そのものが「洋楽好きな昭和の日本人」ですな。
 ミュージアムの「陳列作品」は、前述のマービンのほかにルーサー・バンドロスの『Forever, For Always, For Love』、ボビー・ウーマック『The Poet』『The PoetII』、シェリル・リン『Instant Love』、コン・ファンク・シャン『Spirit Of Love』、アイズリー・ブラザーズ『The Isleys’ Greatest Hits, Vol. 1』、アイズリー・ジャスパー・アイズリー『Broadway’s Closer to Sunset Blvd.』あたりだったかと。
 それぞれのアーティストの代表作ばかりではないところが、今思えば所詮十代趣味ですわ。音楽史的な位置づけなんて知らずに楽しんでたもんなあ。そのくせ、OOOO(当時は新鋭、現在はノーベル賞候補!)の小説なんて産業廃棄物モノだ、志賀直哉や吉田健一の日本語こそ美しい、とか何とかホザいてたわけで。
 ウザかったねえ、昭和の高校生は。

 それでは、また次回。

 

  

  

 

Vol.70「2008年、夏の活動報告」

 思い出したように降りてくる陽射しには数週間前の強さはありません。何より執拗さが欠けている。今はもう秋。トワ・エ・モア。なんちゃって。
 それに比べると、夏の終わりの陽射しはどこか別れ際に踏ん張ってみせる恋人のようでした。今年にかぎったことではないけれど。
 嫌われても罵られてもめげることがない。邪険にされたところでお構いなしに懇願する。付きまとう。それまでの楽しい記憶を台無しにするような迷惑をかける。警察沙汰を起こすことさえある。しかし、別れてしばらく経てばそれもどこか懐かしい…。
 いや、そんな美しい話でもないか。ないですね。
 ま、昔から八月生まれの恋は長続きしないと言われる道理ですなあ。

 閑話休題、今夏の活動状況を以下ざっとまとめてみました。

 まず音楽プロデュースですが、その数、1曲のみ。別にサボっていたわけではなくて、その1曲にずっと掛かりっきりなのでした。コンセプトづくりに始まり、作曲、作詞、レコーディングそしてミックスダウン。音楽プロデュースと呼ばれる作業の範囲はケース・バイ・ケースですが、今回はゼロから100の工程まですべてに携わったせいもあり、気がつくと5月から3ヶ月以上を1曲のために費やしてしまいました。
 その曲とはEXILEの新曲「Ti Amo」。今月24日にリリースされる彼らのデビュー8周年記念シングル「The Birthday ~Ti Amo~」の表題曲となっています。すでに着うた配信が始まっていますが、本コラム読者のみなさんにはどうかCDもお手にとっていただきたいです。私のディスコグラフィーでいえばEXILE「Lovers Again」はもちろん、平井堅「TABOO」、そしてDOUBLE「残り火」のファンの方もきっとお気に召すことでしょう。
 近日中にあらためて書き下ろしプロダクション・ノーツを掲載しますね。

 テレビ番組『シンボルず』への楽曲提供がきっかけになって結成したエキゾチックJAPAN(ノーナ・リーブスの西寺郷太、ラクライの毛利泰士、そして私の3人組)は、これまで番組内コーナー『世界美女紀行』(私が命名しました)で「恋人はインド人」「チロルの風に誘われて」の2曲を発表しましたが、3曲目「サハラ砂漠で君と」の公開を前に、惜しくも番組が今クールいっぱいで放映終了決定。視聴率良かったのにねえ。早いねえ。MEGUMIさん産休だねえ。ねえねえ。
 現在は新たなる作品発表の場を検討している状況です。ご興味ある業界関係者はどうかご一報を!

 次はラジオ。前回コラムで筒美京平さんの特番出演の件はお伝えしましたが、他にも首都圏ローカルながらコメント提供やゲスト出演ならちょくちょくやってるんですよ。まあ急な場合が多いのですべての番組出演予告はできていませんが…申し訳ありません。
 そんな中、この1か月ほど構成・選曲に全力投球し、先日ようやくワンマン・スタイルでの出演収録をようやく終えたのが『秋の夜長の偉人達~マービン・ゲイ。そしてソウルが始まった~』です。はて、と気づいた方は鋭い。昨年8月にNHK-FMでお届けした『真夏の夜の偉人達~スティービー・ワンダー~』の続編的内容。放送は9月30日(火)23:00~25:00です。これは1週間にわたってのプログラムでして、他の曜日は29日(月)立川志らく「岡晴夫」、10月1日(水)藤あや子「エアロスミス」、2日(木)小川隆夫「ビル・エバンス」、3日(金)中村中「ちあきなおみ」となっています。
 というわけで、この夏はマービン・ゲイの音を聴き漁り、映像を見まくり、書籍を読み尽くしました。我が国屈指のマービン研究家・吉岡正晴さんからご提供いただいた資料および情報と、マービン(さらには後見人ハービー・フークワ)の音楽世界に通暁されている山下達郎さんからお借りしたレア音源のおかげで濃密な番組に仕上がっています。ディレクターは昨年に続き中野昭彦氏。是非ご清聴を。

 さてモントルー・ジャズ・フェスティバルに足を運んだことは前回お伝えした通りですが、音楽フェスといえば今年は東京の夏の名物フェス『J-WAVE LIVE 2000+8』(8月15、16、17日。代々木体育館)を全日程、全曲観ました。
私がプロデュースするアーティストが数多く出演してきたこのフェスも今年で9回目。毎年のように私も顔を出してきたのですが、知りあいが多いゆえの悩みもあって。親しいミュージシャンや関係者と楽屋で話しこんでいると、関わりのないアーティストのステージはついつい見過ごしてしまいがちなんですね。今年はそれを避けるべく、心を鬼にして楽屋訪問を封印。以前からの念願であった全日程・全曲鑑賞に成功した次第。
 全部を観たからこそ見える景色というものが確実にありました。フフフ。今回得たものをこれからの音楽制作に反映していければと思っています。
 ここで、ひとつだけ独り言を言わせてください。
 初日15日は終戦記念日でした。ましてや会場と隣接する代々木公園はかつて陸軍代々木練兵場だった、いわくつきの場所です。なのに、どの出演アーティストからもその件に関してのコメントが一言も発せられないのは、ちょっと不自然じゃありませんか?よりによって、この季節、この場所で。
 出演者リストにはエコロジーを標榜する某音楽フェスの常連アーティストも多く含まれていました。軍事や平和についての言及なくしてエコを語るのは画竜点睛を欠くというか、正直チャイルディッシュに思えて仕方ないのですが、どうよ?
 私の頭がカタすぎるのかしらん。

 最後に、フェスといっても映画祭のお話。
 私が主題歌と挿入歌(いずれもCHIX CHICKS)をプロデュースして今年劇場公開された映画『音符と昆布』が、第2回ソウル忠武路国際映画祭に正式招待されました。で、井上春生監督や主演の女優・池脇千鶴さんに同行して私も9月3日の開幕式に出席しました。チャン・ドンゴン等の韓流スターが大挙出席して会場は実に華やかでしたね。映画ファンとしては『ディア・ハンター』のマイケル・チミノ監督拝顔の栄に浴したのが嬉しかったなあ。
 とはいえ、井上監督や一志順夫、村山達哉松岡周作といったプロデューサー諸氏と飲み明かし語り明かしたのが何といっても一番の良き思い出に。2泊3日の旅程中、飲んで食べてばっかりだったなあ。
 最後の夜の打ち上げでスピーチに立った池脇さん、ついに「今回は監督と私以外は誰も仕事してません!」と怒りの告発。その通りなので文句は言えません…。でも、主演女優に怒られながら飲む酒も美味でしたぜ。
 これだからしょうがないねえ、酒飲みは。

 それでは、また次回。

Vol.69「クインシー・ジョーンズ、筒美京平」

パリ在住の音楽家・鷺巣詩郎さんに誘われて、先月スイスのモントルーに行ってきました。今年で42回目を数える『モントルー・ジャズ・フェスティバル』、そのハイライトである「クインシー・ジョーンズ生誕75周年記念コンサート」を観るためです。
先のJASRAC賞で奇しくも鷺巣さんは銀賞、私は銅賞でしたから、それを一緒に祝うという意味もありました。この10年のあいだに鷺巣さんとは何度かヨーロッパ旅行をご一緒していますが、そのどれもが例外なく「食」にフォーカスした旅。今回のように「音楽」をメインに据えた旅は意外にも初めてかも。とはいえ、音楽業界きっての美食家で知られる鷺巣さんのことですから 、素敵なレストランめぐりを欠かすわけはありませんが。

ところで、いま私は来春あたりの刊行を目標にして単行本を書きおろし中です。柱のひとつにクインシー・ジョーンズ(以下、Q)に関する章があります。今回モントルーまでQを追っかけるにあたっては、単行本執筆のための取材が第一の目的でした。
懇意にしていただいている音楽評論家の吉岡正晴さんもこのイベントに並々ならぬご興味をお持ちでしたが、残念ながらモントルー行きは叶わず。そんな吉岡氏に私は現地から何度か報告を入れましたが、その一部が数回にわたって彼のブログにアップされています。是非ご一読ください。
Qにとって最後かもと噂される(だからこそいくつかの仕事をキャンセルして行きました!)この集大成的コンサートのデータ的側面を知るためには、吉岡さんのブログを読んでいただくのが一番。さすがはデータ収集&整理の鬼・吉岡さん、実際に行った私が舌をまく内容に仕上がっています。
ですから、本コラムでは、幸運にも単独取材で訊くことができたQの言葉を少しだけご紹介しようかと。今回私がそれだけQに接近できたのは、鷺巣さんのお力添えでフェスティバルのプレスIDカードを得たおかげです。この場を借りて鷺巣さんに感謝。

私がQに会うのはこれが二度目。前回は1995年、『Qズ・ジューク・ジョイント』のプロモーションでデビュー前のタミアを帯同して来日した時ですから、もう13年も昔のこと。私が27歳の時のお話です。滞在先のホテルを訪ねてインタビューしました。
その時の詳細については前述の単行本に詳しく記すとして、なかでも強く印象に残ったのは「あなたが音楽とビジネスをこれまでにない高い次元で両立できた秘訣は?」いう問いかけに対しての怒気含みの返答でした。いわく「俺がやってきたことは、音楽とビジネス、じゃない。その二つを一つに統合したもの、つまり、音楽ビジネス、なんだ。わかったか、若造!」と。
その後の私の人生を決定づけるに十分なひと言。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、音楽プロデュースこそ男子一生の仕事、とさえ思いました。翌年、私はジョン・Bの「Simple Melody」を初リミックス、プロデュース業に乗り出すことになります。

今回の謁見の機会に、私はあえて13年前と同じ質問を投げかけてみました。わざわざ「前回も同じことを訊きましたが」と言い添えて。
さて、Qはどう答えたと思います?
「健康。まずは健康だよ。今の私は太り過ぎだ。まずはダイエットだね。」
……これには僕もまいったね、ですよ。正直、ちょっと脱力もしました。

しかし、前回から13年、 音楽プロデューサーとしてそれなりのups and downsを経験した私には、アティテュードを説かれて半泣きになった前回よりも、むしろ今回の返答のほうが身に沁みるのです。
ただいま75歳のQ。前回、ギラギラしたオーラに私が戸惑ってしまうほどのQは「まだ」62歳でした。その時の私は「もう」62歳と捉えていましたが、それも今ならば非常に偏ったものの見方だったとわかります。
現在Qは映画の企画を9本同時に進行させているそうです。マイケル・ジャクソンとのプロジェクトについての噂も絶えることがありません。そのアイディアの量とスピードに肉体が付いていかないのを歯痒く思っているふうでもありました。
75歳。今の日本では「後期高齢者」と呼ばれ始める年齢です。この呼び名がいかに馬鹿げた、そして間違ったものであるかを、日本から遠く離れたモントルーで痛感しました。気がつけば私も若者と呼ばれることのない40歳になったからでしょうか。それともQと同い年の父親を持つ「息子」だからでしょうか。
その日のクロード・ノブス(フェスティバル創設者)との公開対談、もとい記者会見で、Qは「私は生涯引退しない」と宣言しました。

変化を続けても、変節はしない。クインシー・ジョーンズはぶれない人です。

帰国した翌日には日本を代表する作曲家・筒美京平さんと対談しました。弊社秘書もお伝えしたように、現在全国のJFN系FM局で順次放送中の番組『ROOTS vol. 52 筒美京平~孤高のメロディメーカー~』のナビゲーターとして、です。
JASRAC賞授賞式のスピーチでも述べたのですが、筒美京平さん、山下達郎さん、そして鷺巣詩郎さんのお三方は、私が音楽プロデューサーとしての道を歩むにあたって最も大きな影響と実践的アドバイスを与えてくださった方々です。しかし、最年長の京平先生とは面識を得てからせいぜい5、6年ほどしか経っていません。コラボレーション作品として初めてのヒット『恋のダウンロード』からですと、まだ2年半。
ですから、京平先生サイドから「対談相手は筒美京平をよく知る松尾さんに」というご指名を受けた時は、ちょっとした逡巡がありました。自分の年齢を超える長いキャリアを誇る巨星・筒美京平に対して、私が何を話せというのでしょう。というわけで、今回は対談相手というよりもインタビュアーという心構えで現場に臨みました。
ま、結局は予定を大幅に上回る長時間のインタビューになりましたけどね。実はまだ私も編集済みの内容を確認していないのですよ。聴くのがちょっと怖くて…。
まだ放送が間に合うエリアの方は地元のJFN局のタイムスケジュールをご確認のうえ、どうかご清聴ください。ゲスト多数ですよ。ちなみにTOKYO FMでは8月9日(土)5:00~5:55の放送です。

それでは、また次回。

Vol.68「My Radio Days」

 みなさん、お久しぶりです。随分とご無沙汰してしまいました。
 明日から2008年も後半戦突入、というタイミングで、今年2回目のコラムです。 

 エラそうに2回目なんて言っちゃいけないのかな。わざわざ「毎週水曜日頃更新予定」って掲げといて、半年で2回、だもんなあ。我ながら呆れますね…。近頃では「早くコラム再開してください」というお便りさえ届かなくなりました。筆不精は友をなくすよ。その逆は、マメな男はモテるよ。あ、余談でした。
 もとい、その間にも弊社秘書がたびたびお伝えしてきたように、松尾潔は元気に仕事を続けています。先日はたいそうな賞もいただきました。ありがたや。

 さて本題。
 今さらながら、この春、J-WAVE『THE UNIVERSE』が終わりました。残念でした。1年半のご愛聴ありがとうございました。まだ番組公式サイトは残っていますので、寿命が尽きる前にご高覧ください。なんつうか、青春の残滓、みたいな感じ?
 番組の終了通告には出演者の私がいちばん驚きました。柄にもなくリスナーとのイベントをやろうと言いだした矢先だったのが皮肉かつ残念ではありましたが、それでもイベント開催できて嬉しかったな。ゲストの吉岡正晴さんサイコーでした!

 本格的にラジオと関わりを持つようになったのは、開局したばかりのBayFMでした。1990年のこと。
 ここでは試行錯誤を繰り返したものです。それまで音楽ライターとしては大きな仕事に関わり始めていたものの、それでも20代になったばかりで何の経験もない、ましてやどこの事務所に所属しているわけでもなかった私。そんな若造を選曲者、構成作家、そしてディスクジョッキーに抜擢した同局の浅地豊樹さんの勇気には今更ながら驚きます。
 もっとも、当時の私は年齢相応に自意識も肥大気味だったのでしょう、編成方針について何度となく悪態をついたものですが。今ではその「勇気」にも素直に感謝できるようになりましたよ。まあ遅すぎるんですが。いつも気づくのが遅れるのは人の恩、言いだすのが早いのが恨み言。
 この時期は実にいろいろな番組をやらせてもらいました。午前9時から午後4時までの7時間ブラックミュージックだけをかけまくる番組、とか。音楽、マスコミ、あるいは広告業界の若い世代の方に仕事でお会いすると、たまに「10代の頃にBayFM聴いてましたよ~」と言われることがあります。そのたびに温かい気持ちになるけれど、あの頃の若さがあったからできたことばかりなので、今それをできるとは思えません。
 1998年、30歳になるのとほぼ同時に始めたのがFM横浜『SOUL SYSTEM』。番組プロデューサーのDJ OSSHY、ディレクターの能勢修(K-FUNK)両氏がともに私の同世代、ともに圧倒的な知識と経験を誇るR&Bピープルという絶好の条件が整いました。以後の私の番組フォーマットはすべて『SOUL SYSTEM』で作られたと言ってよいでしょう。その後、旧知の中野昭彦ディレクターに誘っていただき古巣のBayFMで始めた『松尾潔的音楽夜話』も基本的に同趣向の番組でしたね。あれも楽しかったなあ。
 『THE UNIVERSE』はそのスタイルのひとつの到達点を自負していました。公式ブログが装備される時代、だからこそ本編はオールドファッションドなスタイルを貫きました。

 そして現在、久々にレギュラーのラジオ番組がひとつもない状態です。またどこかで新番組を始められるといいのですが。
 いくつか新番組のお誘いもいただいていますが、『THE UNIVERSE』に準じる時間枠、形式を許してくれないかぎり、レギュラーでお受けするのはちょっと無理かも。というか、あのフォーマットじゃないと私みたいなお喋りの素人がラジオ番組やる意味ないでしょう?それくらいあの番組のスタイルに愛着があったとご理解いただきたいのですが。
 それとも、私は可能性を限定しすぎなのかな…。
 心を動かされるような企画書、魅力ある制作者との出会いを待っています。

 以上、これまで一度も放送局に自分を売り込んだことのない私のつぶやきでした。ヤル気がないわけじゃないのよ、なんてね。

 それでは、また次回。

Vol.67「迷えども惑わず」

 2008年初めてのコラムです。今年もよろしくお付き合いください。 

 今回は実は松尾潔40代初めてのコラムでもあります。さよう、去る1月4日、小生無事に40歳の誕生日を迎えたことをご報告いたします。 

 元日はやはり今年不惑を迎えるラッパーのK DUB SHINEを誘って初詣に行きました。 お御籤を引いては二人して一喜一憂。その後はコーヒーショップでまったりと歓談していると、あっという間に夜の帳は降りてきて。40代もこうして日々は過ぎていくのでしょうか。現状維持? ならば幸せなのでしょう、きっと。趣味をそのまま仕事にしてしまったことの恍惚と不安、愉悦と後悔を、バランスは違えども二人は共有している。 

 と、私たちのテーブルにひとりの若者がやって来ました。K DUBに向かって自分がファンであることを告げ、サインを求めました。快諾を得た彼は履いていた真っ白なスニーカーを脱ぎ「これにお願いします」と。K DUBは若者に「何の仕事をしてるの?」などと話しかけながら、物慣れた感じでペンを走らせます。私はK DUBよりむしろ若者に感情移入し、年の初めに憧れのラッパーに巡りあう興奮を想像してみました。グラフィックの仕事をしているという彼はまだ20代になったばかりとのこと。ちょうど半分かぁ。

 若者の差し出す名刺にはヒップホップの影響の色濃いグラフィティ調のロゴが添えられていました。こういうタッチの仕事してるんだ?と、そこで私も初めて口をはさみます。彼は緊張した面持ちで「なかなか仕事ではまだこういう(センス)の出せないんですけど」と言い、それでも「頑張ります!」と締めました。サインを書き終えたK DUBからスニーカーを受け取った若者は、素早くそれを元の足に戻しました。ぎこちない笑顔はどこか泣き顔にも見えましたが、それはきっと私の気のせいだったのでしょう。彼は一礼すると店奥のテーブルに戻っていきました。遠くでこちらに不安げな視線を送り続けていた恋人らしき女性に手を振りながら。

 さて、誕生日の前日からは今年初めての海外出張でした。時差のせいで30代最後のバースデイ・イブは40時間超の長い長い一日となり、悪友からは「最後の悪あがき」と揶揄されましたけどね。面白いので否定はしなかったけれど、その実わたし自身は「その日」を迎えるのを楽しみにしてもきたのです。仕事を始めた頃、若さによる経験不足を理由に意見を否定されるという悔しさをさんざん味わいましたから。

 ジェットラグもとれてきた数日後、宿泊先のホテルで朝食をとっていたら、そのレストランの中でもひときわ楽しそうな家族客に目が留まりました。祖父らしき年老いた男性の両脇ではしゃぐ幼児たち。あのおじいちゃん、どこか見覚えがあるな…。何と、バート・バカラックでした。後で気づいたのですが、彼は今年80歳になるんでしたね。ちょうど倍かぁ。ともかく、40代最初に遭遇したセレブリティはバカラック。悪くない話です。

 40歳になった途端に迷いが消えるなんてことがある筈もない。予想はついていましたが。私だけではありません。周囲を見回してもこの世代はみんな道に迷っている。むしろ迷いはよりその具体度を高めていくようで、10代から抱き続けた将来への漠たる不安はそのまま、ただ現実が厚みを増していくだけなのかもしれません。

 がしかし、気がつけば、消え去ることのない迷いそれ自体に戸惑うことは殆どなくなりました。こう云うとあたかも達観してるようですが、そんなカッコいいものではないです。これを中年のあつかましさというのかもしれないな。ただ、年が変わり誕生日を迎えるたびに新しい年齢を言えること、それは幸せだと心から思います。

 それでは、また次回。

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